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植田いつ子さん

更新日:2013年9月20日

美しいものを創りたかった

平成11年、各種スポーツで熱戦を展開した「くまもと未来国体」。
10月24日には、桃田運動公園の市総合体育館に天皇皇后両陛下がレスリング競技の観戦に訪れられた。
その時の美智子皇后さまの控えめながらも凛とした衣装に魅了された市民も少なくない。
その衣装をデザインしている人が玉名市出身の女性であることをご存じでしょうか。

東京の高層ビル街から少し離れ、赤坂御所の桜並木が一面に見渡せる場所でアトリエを構える植田いつ子さん。
およそ45年にわたり第一線で活躍するファッションデザイナー。

昭和51年、美智子皇太子妃(現・皇后陛下)のデザイナーを拝命。
「御所からお話があった時は本当にびっくりしました。大切なお役目に私はできっこないと最初はお断りしたのですが、御所の方が『一度お目にかかって、その上で気持ちを決められたら・・・』とおっしゃられ、機会を作って下さいました」と当時を振り返る。
そこで初めて東宮御所に出向いた植田さんは、その美智子さまの人となりに打たれ、この方の前では何もつくろうことはないと素直な気持ちになったという。
「服はあくまでも輸入文化ですが、その造形フォルムの中に、私は私なりの日本人の心情、美意識を取り入れていきたい」と日頃からの服づくりの信念、考えをお伝えした。
以来、国民を魅了する美智子さまに花を添え続けている。

昭和3年、河崎生まれ。しばらくして父親が自転車店を営むため現玉名駅前に引っ越し。
「支那事変(日中戦争)が小学3年の頃で、女学校卒業が昭和20年。
まったく色のない生活でした」と弥富小学校(現・玉名町小)、高瀬高等女学校(現・玉名高校)で同級生の藤木正子さん(熊本市在住)は当時の写真を見せながら感慨深げに話す。

「最初に手掛けた服は、終戦後お母さんに作ってあげたワンピースでした。できるだけかわいくと、一生懸命つくりました。へちま衿の柔らかいワンピースはとてもお母さんによく似合い、人さまからも褒められるせいか、外出する時はよくそれを着ていました。その時の喜びは今でも忘れられません」と植田さん。

自分はデザイナーが向いているのでは、と思い上京しようと思ったのはその頃。しかし、終戦後の混沌とした時代に、若い娘を勉強のためとはいえ、一人旅立たせる両親の気持ちは計り知れなかった。

「未知なる東京での生活への不安と、目の前の父母との交渉の困難さに、幾度か絶望しながらも、誠心誠意上京できるようにと努めたのも今では懐かしい思い出です」と当時を振り返る。
「かわいい妹があの時代に上京すると言った時は悲しくもありました。6人兄妹の中で一番年が近かったものですからね。でも心の中では『頑張れ』という気持ちでした。一緒に両親を説得しましたよ」と信吉さん(兄)は笑う。

「美しいもの」に飢えていた青春時代。戦後とともにその憧れは、日に日に増してきた。『美しいもの』を創ることであれば何でもいい・・・と、切羽詰まった思いにかられ、昭和24年、真摯(しんし)な願いが両親に受け入れられ、「不安」と「新しい可能性」とともに東京行き鹿児島本線「霧島」に乗り込んだ。
(平成13年7月1日号広報たまな)

デザイナーへの道 

〜成功の陰に二人の師との出会い〜

美智子皇后さまのデザイナーとして活躍する植田さんの礎(いしずえ)を築いたのは、二人の師との出会いだった。

不安と期待を胸に、東京駅に着いた植田さんは、さっそく出発前に調べておいた洋裁学校の桑沢洋子先生を訪ねた。
受付の女性に「九州から来たんですが・・・」と話し掛けると「明日なら桑沢先生がいらっしゃるから、先生は、そういうことをとても大切になさる方だから直接お会いできるようにコンタクトを取りましょう」と親切に言ってくれ、翌日面会した。
そこでデザインの勉強をしたいと話すと、先生は「のんびり勉強している時間がないなら、とりあえず予備の研究科に入り、来年研究科に進めばどうかしら。すぐ追いつくでしょう」と例外ともいえることなのに、何と潔い決断をなさる方だろう。
この素敵な先生こそ私の学ぶ方だと心に決め、先生の学校に入学することを決心した。

それから植田さんのデザイナーとしての猛勉強が始まった。
夜には美術研究所、学校が休みの土曜日にはお茶の水にある文化学院のデザイン科にも通った。
「桑沢先生はファッションを感覚優先で捉えるのではなく、人間が着るものとして洋服はどうあるべきなのか、根源的な問題を軸にして考えておられました。
今思うとそんな先生に共鳴して、本当に贅沢な講師陣が集まり、洋裁学校というより、デザイン塾のようでした。ですから、授業はデッサンやデザイン理論が中心で、縫うことなどの実習面はすべて宿題で、正直いってとても大変だった」と当時を振り返る。

順調に見えた学生生活だったが、洋裁学校卒業前、激しく気持ちが揺れていた。実技で1ミリ、2ミリの誤差もなく縫うことを求められるこの仕事が、窮屈に思えてきた。
「自分には出来ない・・・」と、絶望しかけたこと。
その心の揺れを先生に打ち明けると「服を作る人にはそれぞれ違った能力があるものです。縫うことに力を発揮する人と、デザインなどの感覚面で力を発揮する人、または服に付属するものを作る人、企業の中にあって企画を推進する能力を持っている人など、服づくりの仕事にも、いろいろありますよ。縫うことに向かないからと絶望することはないのよ」。
そして優しい笑顔で付け加えられた。「今のあなたは、現在の日本で一番贅沢な環境を経験してデザイナーになることが一番いいと思う。何年かして改めて自分を見つめ直して道を選んでもいいじゃない」。
そして先生は「それにふさわしい所を私が探してあげましょう」と紹介されたのが、当時一世を風靡(び)していた銀座にあるアトリエ「ビジョン」。
そこには、桑沢先生と対照的で徹底して感性の人であるジョージ・岡先生が主任デザイナーとしておられた。

植田さんは、卒業後に桑沢先生にお手伝いができないことの申し訳なさを感じていたが、先生が与えてくれたせっかくのチャンスを無駄にしてはいけないと、岡先生のもとで修行しようと決意。その後、デザイナーとしての実力を着実につけてきた植田さんを岡先生は、温かく面倒を見てくれた。

「物もなく、生活するだけでも大変な時代に、私は贅沢な材料をふんだんに使わせていただき、何も心配せずに、着る人を何よりも綺麗に見せるドレスづくりに専念できたことは、本当に恵まれていました。
今の私があるのも、デザイナーという職業が確立されていなかった混乱の時代に、デザイナーとしての第一歩を踏み出すように後ろから背中を押してくださった、桑沢先生や日本人の美意識と伝統の布地の素晴らしさを教えてくださったジョージ・岡先生のお陰です」と笑顔で語る。

二人の師に出会って約8年目、「植田いつ子アトリエ」を開設した。
(平成13年8月1日号広報たまな)

 

素直な気持ちで

〜玉名の子どもたちへメッセージ〜

二人の師との出会いから独立、ついに昭和50年には、ファッション界の芥川賞と呼ばれるFEC賞を受賞するまでになった植田さん。

自分なりのフォルムを手探りしては立ち止まり、また求めては格闘していた頃、自分のファッションとしての表現を確立する中で、大切にしていたことがある。
「素直な気持ちで感じて、素直に表現すること」
植田さんも国内外を問わず、いろんな洋服や音楽などいろんな表現を見てきた。

戦後、初めて日本に訪れた、クリスチャン・ディオールのオートクチュールコレクションもその刺激を受けた一つ。
旧東京会館であったショーに出された作品を見て、西欧の文化とその揺るぎなき根の深さを感じた。
「服というものがこんなにまでも人を表現できるのかと衝撃を受けました。
しかしそれが逆に、この仕事を続けていこうという意欲を持たせてくれました」と西欧の文化を素直に受け入れることができたことも成功の秘けつと語る。

ファッション界で揺るぎない地位を自分の表現で確立した植田さん。

昭和51年、その才能が買われ、美智子皇后さま(当時・皇太子妃)の専属デザイナーとなった。
「美智子さまは日本女性の美点をすべて兼ね備え、全身全霊でお役目を遂行されます。
私はそのお立場に沿った洋服を心を込めてつくっています。
私も美智子さまに真の美とは何かというものを常に教えていただいています」。

自分のファッションとは別に、植田さんは後継者への育成をと、若者への指導もされる。
50年前の自分と若者を重ね合わせながら。そして桑沢先生への恩返しの気持ちを込めて。

「いつ子さんは昔から手芸や絵を描くのがお好きでした。
その当時は色のない時代。しかしその頃から色の使い方が素晴らしかったんですよ。よく先生方に誉められ、素直な気持ちで喜んでいらっしゃいました。
やさしいお人柄で私たちの級長も努めていただき、みんなからとても頼りにされておられた方でした」と高瀬高女時代の同級生、下川千代子さん(玉名市在住)は語る。

そんな植田さんも自分が熊本・玉名人だなと感じることがある。
「こだわりのないのはだめ。物事の価値は自分で決めるもの。それをずっと押し通してきたところが玉名人かなと感じますね。玉名の子どもたちも素晴らしいものに触れたり、音楽など人の表現を見て、それを素直な気持ちで受け止めて感動してほしい。そして自分らしく、自分に素直な表現をしていってほしいですね。私もいろんな人や作品と出会ってきました。その出会いにも意志があると思うんです。その出会いを大切にしてきたから、今の私があると思うから」。

これだけの実績を築いてきた植田さんだが、それでもデザイナーとして新しい挑戦を続ける。
これまでの洋服とは違い、着物を作りはじめた。今秋には発表するという。
「自分をさらに磨いて、これならば着てみようと思ってもらえるような着物になればと思います。これからも美しいものをつくっていきたいです」。

素直な気持ちと出会いを大切にしてきた植田さん。
美しいものに憧れる心は、玉名っ子の時から色褪せることはない。
(平成13年9月1日号広報たまな)

広報たまな平成25年9月1日号もご覧下さい。

平成25年9月1日号(表紙)



 


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