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前田忠一さん

更新日:2009年1月1日

人生の分岐点

〜彫刻との出会い〜

桃田運動公園競技場近くに設置されている少年の等身大ブロンズ像3体。その像を制作されたのが、玉名市出身の彫刻家であることをご存じでしょうか。
東京都町田市にアトリエを構え、彫刻家として活躍する前田忠一さん。昭和29年、八嘉・田崎生まれの48歳。昨年まで、母校である東京都の多摩美術大学彫刻科の非常勤講師を勤められ、現在は東京都内の中学校の美術講師。また、プロ、アマチュア芸術界の最高峰に位置する「二科会」の会員として、二科展彫刻部門の審査員も手掛けられている。

桃田運動公園のほぼ中央に設置されている3体のブロンズ像は、平成8年に設置。「運動の象徴」と同時に「玉名市の伸びゆく未来」を重ね合わせて表現し、少年時代の限りない「夢」を象徴した「雲に乗った少年たち」。それぞれ未知の未来を目指して勇気と希望に燃えている。少年のまなざしとポーズは人類を支える〜天・地・水〜をはっきりと見据えている。

桃田運動公園のほぼ中央に設置された3体のブロンズ像。少年の姿をかりて未来に向かって頑張る心を表現
「この仕事の話がきた時は、素直にうれしかったです。故郷を離れて20数年の頃でしたが、豊かな緑、清澄な水、澄んだ空を思い出し、ふるさとに対する誇りと懐かしさを込めて制作しました。末永く玉名の多くの人々に愛されることを願っています」と制作に携わった当時を誇らしげに語られた。

幼い頃から絵を描くことや、ものを作ることが大好きだった前田さん。
「実家が自動車整備工場だったこともあり、よく車やバイクの絵を描いていました。とにかくものを作ることが好きで、木でこまやバットを作っていました。一日中、粘土で遊んでも退屈しませんでしたね」と幼少時代の写真を見せながら懐かしそうに話される。
八嘉小学校から玉南中学校に進み、美術部に入部し、油絵を描きはじめる。中学2年の時、友人の家が材木店をやっていたこともあり、余った木を利用して、いろんなものを彫った。彫刻との初めての出会い。初めてノミを持った。
長男である前田さんは、実家の整備工場を継ごうと工業系の高校に進学を希望していた。しかし、中学校の担任の先生が“君は美術の才能がある。美術の道に行きなさい”と美術部のある普通高校を勧めた。
その先生のありがたい一言を信じて、それを決断した。まさに人生の分岐点であった。
(平成15年5月1日号広報たまな)

彫刻の挑戦

〜国際的彫刻家への道のり〜

プロ、アマチュア芸術界の最高峰に位置する「二科会」の会員として、二科展彫刻部門の審査員を手掛けられる八嘉・田崎出身で彫刻家の前田忠一さん。
幼い頃から絵を描くことや物を作ることが好きだった。美術の道に行こうと思ったのは中学生の頃。進路を決める時に、実家の自動車整備工場を継ぐことを決意していた前田さんは、工業系の高校を希望していた。が、当時の担任の先生の一言で美術部のある荒尾高校に進学。人生の分岐点であった。高校時代は、油絵を描きながら、彫刻にも挑戦。2年生の頃、カシの木を使って1メートル50センチの少年の立像を初めて制作、熊本県美術展に出展し、見事入選を果たした。それから同展や銀光展などで入選を続ける。当時は油絵も描き続ける前田さん。

「よく大牟田市内の工場や有明海に浮かぶ廃船を描いていました。あの頃が一番絵を描くことに夢中になっていたように思います」と当時の写真を見せながら懐かしそうに話される。しかし、大学進学は、多摩美術大学の彫刻科を希望していた。高校時代の先輩も数多く進学していたコース。彫刻を続けたいという気持ちが強かった。

しかし、その年の受験に失敗。一浪することになった。新聞配達をしながら予備校に通い、もう一度と挑戦。晴れて合格。「一浪して失敗したら、大学はあきらめようと決めていました」。
大学では、彫刻について専門的に学んだ。

平成9年「トルコ国際彫刻家シンポジウム」に参加し、制作した作品
「夢と希望に満ちて入学した希望の大学でしたが、学生の頃、卒業して本当に彫刻でやっていけるのだろうか。僕はこんなことをしていていいのだろうかと悩んだ時期もありました」。両親に迷惑をかけまいと、予備校時代から始めた新聞配達をして、学費の足しにした。
大学を卒業した昭和53年、同大彫刻科の研究室助手に就く。その年から毎年、二科展に出品。昭和56年には、二科展最高賞の特選を受賞した。その作品は、昭和60年に母校、荒尾高校に寄贈され、生徒たちに愛され続ける作品である。その後、二科賞、昭和会展優秀賞を受賞。昭和63年頃になると、国際彫刻展にも参加。ユーゴスラビアやトルコなどに作品を設置する、国際的彫刻家となった。
(平成15年6月1日号広報たまな)

体験してきたものすべてが大切

〜少年時代の限りない夢〜

“その時、その時代にしかできないもの。だからすべての作品が好き”
東京都町田市にあるアトリエには、様々な作品が並ぶ。多くの作品は、となり街に借りている倉庫にある。
「すべてを倉庫に持っていくと、さみしいのでいくつか置いています。少しは過去も振り返りたいので…」と、これだけは壊したくないという大学時代に作った、思い出の作品に目を向けながら感慨深げに話される。

彫刻は立体の芸術。人間の歴史とともにはじまり、造形表現の中でも最も古くからあった表現形態のひとつといわれている。その制作に不可欠なのは材料を知ることと、表現の手足となってくれる道具と正しく付き合うこと。前田さんのアトリエには、平ノミ、丸ノミ、カンナ、金づち、見たこともない道具が何十種類もある。まさに職人の道具だ。

生い立ちの原風景をもとに、人と自然をテーマに造形表現したもの。子どもの悪い夢を喰うバクをイメージした作品

「道具は、上野(東京都)に行って買うものや磁鉄(じてつ)と鋼(はがね)を買って、自分でつくるものもあります。これは、高校の時、高瀬で買った道具です。なかなか使いやすいんですよ」と研いで根元まですり減った道具を見せながら、一つひとつに対する思い出を話された。

「その時、その時代にしかできないもの。だからすべての作品が好き」と語る前田さん
東京に出てきて、自然に目を向けるようになり、田舎のありがたみが分かったという前田さん。玉名での原風景や原体験が今の作品づくりに生かされているそうだ。
「これまで体験してきたものすべてが大切なもの。少年時代の限りない夢は、勇気と希望に燃えています。そのために、子どもにはある程度、親や周囲が環境を作ってあげなきゃいけないと思います。そうすれば不思議と伸びるもの。東京の下町に行くと職人たちがたくさんいて、芸術を目指すものの絶好の環境です。道具もたくさんあるし。あんな環境で育っていたら僕ももっと彫刻がうまくなっていたんじゃないかな(笑)。でも彼らがマネできない何かを田舎で育った私たちは、持っていると思います。玉名で育ったことが誇りです」と故郷を誇らしげに話される。

「私は、両親や家族をはじめ、よき先生、よき先輩、よき友人に恵まれたと思います。大学の同級生でもある妻も、私にとっての理解者。とても感謝しています」と現在の自分があるのは多くの人と出会い、支えてもらったお陰と話される。
夢を持ちにくい時代に生きている私たちに、これからも、彫刻を通して何かを提案してくれそうだ。
(平成15年7月1日号広報たまな)


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