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石田博利さん

更新日:2009年1月2日

創業以来28年間の実績

〜「困った時の放映頼み」〜

大浜出身で映画やドラマなどの制作会社の注文に応じて人材を派遣する「放映プロジェクト」社長の石田博利さん。
芸能文化を中心にした人材ビジネスを推し進める放映グループの総帥、また、東京原宿ロータリークラブ会長を務め、ボランティアの活動にも多大な貢献をされている。

創業以来28年間赤字なしを続け、経営方針に「心」を謳い、登録タレント数8、000人を数える層の厚さと出演実績は業界一を誇る。さらに、顧客に対するサービスも、業界に先駆けて最先端のコンピューター管理システムを導入し、顧客のいかなるニーズに対してもスピーディーに、かつフレキシブルに対応、タレント向けの教育システムも開発。礼儀作法や演技力など様々なジャンルの指導、教育をトータルに行えるシステムで、タレントや顧客から非常に評価が高く、豊富で確かな人材を揃え「困った時の放映頼み」とテレビ・映画業界からいわれるような、業界をリードする信頼・実績のある放映グループ。望んでも手に入らないような場所、東京都港区南青山青山、表参道と並び称される骨董通り、そこに地下1階、地上9階の、放映グループ本社ビルがある。

1948年(昭和23年)福岡の大木町で、石田家の長男として生まれ、小学2年の時、父の仕事の都合で大浜末広に引越し、小学時代を過ごす。その思い出は…といきなり「平和の光身に浴びて仰ぐ♪♪〜」大浜小学校校歌を口ずさみ、「小学校までは遠かった。雨の日はぬかるみに足を取られながら、冬の日は寒さで手がかじかんで、足もしもやけになりながら通いましたね。自然の中で、物の乏しい中で、そして長い距離の通学をとおして、知らず知らずのうちに心身が鍛えられたのでしょうね」と石田さん。

小学校時代。抜きん出ていたことが二つあった。一つはかけ足だった。運動会になると人一倍張りきり、徒競走の100メートルでも、長距離でも一番だった。
もう一つは歌の上手さだった。母が歌が好きで、いつも家に帰ると流行歌を歌って聞かせていたから上手くなったのか、天性のものなのか。
「石田君は、かけっこも速かった。歌も上手かったわ」と当時の担任でNHK全国歌謡コンクールの校内選考委員だった大橋シス子さんは、懐かしんで話される。

父親は元警察官。その父から受けた厳しいしつけ。母から教わった人生訓。「百人の味方をつけるより一人の敵をつくるな」「情けは人の為ならず、巡りめぐって己がため」という諺。それぞれが石田さんにとって、何にも代えがたい偉大な財産となり、常に初心を忘れず、自らの立場を認識して現在に至っている。
ガリ勉時代の中学生から一転、歌手になろうと高校2年の修学旅行のとき、途中で抜け出しクラウンレコードの歌手オーディションを受け、合格するが、親戚の助言で大学への道を選ぶのである。
「明日は東京に出て行くからは、何が何でも勝たねばならぬ」と上京の前夜、大好きな「王将」の一節を心に刻む石田さんだった。
(平成15年9月1日号広報たまな)

アルバイトそして会社設立 

〜信頼・挫折・誇り・夢〜

「頑張ってこいよ」「体に気をつけるんだよ」母の声に励まされて、熊本を後にした石田さん。好きな歌で身を立てるということは当時の石田さんにとって魅力的なことだったが、「学校に行ってまず勉強して、安定した仕事に就くべきだ」と親戚からの忠告もあり、大学を受験した。が、失敗。東京でひとり狭い部屋で途方にくれていた。その時「王将」の一節を思い出す。入試は一回だけじゃないんだ。来年だって再来年だって受かるまで何回も受けるぞ。生活費はアルバイトをして稼いだら何とかなるさと。苦しいが目標を持った予備校生活が始まる。

翌年、日本大学に合格入学したが、学園紛争で大学はほとんど閉鎖していた。やむなく翌年、慶応義塾大学へ入学。しかし、アルバイトが忙しく卒業できなかった。父に大学は絶対卒業しなければならないと言われ、明治大学に入学、卒業した。

予備校に通っていた頃、新聞配達のアルバイトをしていた。お金のためもあったが、それだけでなく、朝起きが苦手な石田さんは授業に出るには朝早く起きなければならない。そこで、いやでも早く起きなければならない新聞配達をしてみようと思ったのである。「そのお陰で、早起きの習慣も身につき、かつ親に送金までできた。一つの行動に必ず二つ三つの利点をつけ加え一石多鳥を狙う。私の合理主義はこの時代からあったようですね」と石田さん。

また、これが今の石田さんを決定付けるのであるが、(すらりと伸びた身長・石坂浩二似の顔・スマートでハンサム)当時、モデルのアルバイトをやっていた。本業の学業よりもモデルのアルバイトが忙しく単位を落として卒業できなくなる。また、そんなアルバイトのCM出演で最愛のパートナーとなる妻・純子さんと巡り合うのである。
モデルの仕事はいつまでもできない、そう思った石田さんは、昭和50年、放映プロジェクトの前身アイプロモーションを創業する。有名タレントのタモリ・中山美穂・松本伊代等をかかえ、順調に進んでいた。軌道に乗りかかった時に父が病気で倒れた。信頼する社員とマネージャーに社業を任せ、看病に専念したが、その甲斐もなく父はなくなり、社に復帰した時には1年が過ぎていた。そこで目の当たりにしたのが、所属していたタレントが別の事務所に引き抜かれていた会社の姿だった。

数を保有すれば!それも百人ニ百人ではなく、何千何万人。老若男女を会社のタレントとして登録すれば、どんな要求にも応えられる。需要と供給を一致させられる会社のあり方。確信をもった経営方針が見つかった。
そこで働く人々が将来に夢を持ち、安心して働くことのできる環境を提供することが第1である。いままでにない、まったく新しい実業としての経営を計画するのである。
テレビ局などの、どんな人を、いつ、何人派遣してほしいとのあらゆる要望に速やかに応える事ができる。人材派遣業として不動の地位を確立し、業界に頼れる存在となり、放映プロジェクトが安定した経営ができるのも、そのシステムと、何よりも信頼をかち得ているからである。実業であらんとする要件として、安定した経営を実現し、社員やタレントに安心と夢を与え続けている。社員は誇りと夢を持ち日々仕事に励んでいる。
(平成15年10月1日号広報たまな)

 

企業の繁栄は心

〜人を大切にし、心を大切にする〜

石田さんの経営哲学には、2つの特徴がある。「自然体の経営」と「ダムの論理」である。無理せず身の丈にあった経営。営々とダムに水を貯めて必要に応じて一気に放流し、エネルギーにするという知恵。経営におけるダムの水とは、資金と人脈(情報)である。その二つの論理がうまくかみ合って、実を結ぶのである。その実が自社ビル完成である。このビルは、「放映文化の発信基地」にしたい。と考え建設したもので、やがて日本中に心の経営を広げるシンボルにしたいと考えている。放映発信基地のスローガンは「挨拶、心配り、笑顔」である。

石田さんは、親を妻を子どもを大切にする心が社員を大切にし、友人を大切にし、仕事相手を大切にしていく。企業の繁栄は心にあると言い切る。
そんな中、映画作りも、自然体の中で生まれてきた。『ノーバディ・イズ・パーフェクト』(この世に完璧な人はいない)これを転じて、『だめな人はいないんだよ』人間、一生懸命やることが大切なんだという“人間賛歌”をテーマにし、サッカーを通して成長していく子どもの心、自分たちが忘れかけていた心の本質を、その子どもたちを取り巻く人々の笑いと涙で描いた「青空へシュート!」は文部科学省の選定作品となり、本格上映を前に試写会でも大きな反響を呼び起こした。

また、ボランティア活動にも目を向け、20年近く東京原宿ロータリークラブの活動にも関わり、2001年度から2002年度の会長職を担い、高齢者を大切にすること、高齢者の知識や知恵を社会に役立てること。高齢者にも生きがいを与えることができ、いきいき老人が増え医療費も軽減され、高齢者の社会参加が促進されれば我が国の生産性にも寄与できる。一石多鳥の考えである。これを目的に「放映インターナショナルボランティア」を設立する。
「人を不幸にするビジネスのために、金を使ってはいけない」。「“心”を第一主義に考えて、常に己の能力の範囲で行動し、絶対に背伸びをしない自然体の経営ポリシーこれこそが経営の王道ではないでしょうか」と石田さん。人を大切にし、心を大切にするビジネス。

私自身が現在あるのは、父と母のおかげであり、その教えは他の何ものにも替え難い。書物から学ぶことよりも、母からの助言、父からの一言のほうがどれだけ価値があるだろうか。このようなことを考える自分にとって、現代の若者が父母を大切にしなかったり、高齢者を馬鹿にしたりするのは絶対許せない。後継者育成、子育てもそうであるが、物事の判断ができるようになったら、時々自分の仕事の事、仕事をしている姿、考えを話してみせてあげたら、人間としてまっすぐに心豊かに育つのではないでしょうか。また、子どもたちも、家の手伝いをし、親を大切にする。そして、小さな志を持つことで、人生が豊かになり、楽しいものに変わっていくのではないでしょうか。と自分の子どもの時代・故郷を懐かしそうに思い出しながら語ってくれた。

創業以来28年間、浮き沈みの激しい芸能界において例を見ない、連続黒字経営。言い換えれば無借金経営を貫いてこれたのも、ひとつには「心」を第一主義に考えてきたこと。そして今ひとつは常に己の能力の範囲で行動して、絶対に背伸びをしない、自然体の経営ポリシーがあったればこそである。関わりを持つ全ての人々、そして各企業との共生・共創つまり共に幸せと利益を分かち合っていくこと。それが企業の条件であり、それを果たすことこそが経営者の使命です。と最後に締めくくった。
(平成15年11月1日号広報たまな)


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