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岡田 尚さん

更新日:2009年1月2日

人生の分岐点

〜弁護士に至るまで〜

神奈川県横浜市の横浜法律事務所で、敏腕を発揮されている滑石出身の岡田尚さん。弁護士歴30数年。数え切れないほどたくさんの裁判の弁護を行い、社会正義を実現する岡田さんは、依頼者、他の弁護士から高く評価され、横浜法律事務所弁護士9人、事務局員6人の頼れる存在である。多くの裁判の中で一番印象に残っている事件はというと、1986年国鉄民営化によって国労組合員が集められた「人材活用センター」で起こった事件で、1993年無罪判決を受けた国労横浜人活刑事弾圧事件であると言う。

岡田さんは、1945年滑石に生まれる。小・中学校の時は、「何でも尚ちゃんが一番」と言われ、勉強も喧嘩も一番、野球は4番でピッチャー。おまけに郡市の弁論大会でも優勝したりして人望もあった。そんな岡田さんは、みんなでいるときが一番好きで、嫌いなのはみんなに会えない夏休みであった。
玉名の豊かな自然の中、八幡様の節頭や氏神様の座祭りがあり、その時食べた淡雪寒(あわゆきかん)の味が今でも忘れられない。幼い頃、巡回映画があり小学校の講堂で、鞍馬天狗を見た。嵐寛十郎や美空ひばり等出演していたと懐かしそうに話してくれた。

高校は、野球をやるために進学校ながら選抜高校野球に全国優勝した済々黌高校に行くつもりだった。ところが、中学3年の時、急性腎炎で10ヶ月入院。一年以上の闘病生活を強いられた。留年も経験し、もう一生スポーツもだめかと人生最初で最大の挫折を味わう。「人間は何時死ぬか判らない存在だ」と言うことを強烈に意識した。
玉名高校に進んだ岡田さんは、体を最優先の高校生活を送らざるを得なかった。牧師の兄、映画プロデューサーの義兄を見ていて、漠然とではあるが普通の就職はしたくないと思い、いずれは司法試験を受けようと決意し、早稲田大学法学部に進学する。大学生活でも健康に万全の自信をもてなかった岡田さんは、どのサークルにも学生運動にも参加しなかった。その代わり大江健三郎・サルトル等色々な本を読み、映画や芝居にもどれだけ通ったか分からないほど通ったと言う。

大学生活は、なにごとにも参加しきれず、一歩引いて見つめる日々だったので「見てばかりで飛べない自分というイメージ。あまり楽しくなかった」と当時を振り返る。
司法試験に26歳で合格。研修所に入り青年法律家協会に出会い、川崎公害、水俣病、労働事件等々さまざまな活動に飛び込んでいった岡田さん。
弁護士としての活躍が始まるのは、これら司法修習生の活動を通じ、社会のひどい実態に生で触れていったからだった。
(平成16年5月1日号広報たまな)

 

弁護士への軌跡

〜中・高・大学生から弁護士へ〜

滑石小学校から岱陽中学校と進み、中学時代は野球部で活躍する。「尚くんは、中学校の頃から体も大きく頭もピカいちよかった。あの頃あれだけの体があったら番長とかになって悪さをするところですが、そんなことはなかったですね。悪いことは悪い、良いことは良いとはっきりと善悪をつけて行動していましたよ。」と中学時代に野球部のチームメイトでもあり、今でも玉名に帰郷する時は親交を深めあっている村井隆仁さん(岱明町役場勤務)は当時を思い出しながら懐かしそうに話してくれた。弁護士になって、はっきり善悪をつける性格はこの頃から養われているのではないか。

また、田舎の共同体的暮らしの中で、上級生と遊んだり、下級生の面倒を見たり、様々な人の中で生きることを教わり、人に対する考え方、スタンスの取り方などを自然に身につけることができた。弁護士の仕事をしていると、机上の勉強だけでなくて、人との直接の関わりが生じてくる。また、その人の人生そのものに責任をもつこともある。このときに、人に対する考え方、スタンスの取り方などが重要になる。都会の進学校育ちの「偏差値」エリートには、机上の勉強の成績では劣っても、田舎で育ったその豊かさを身につけている分、彼らには負けない自信がある。
玉名高校から早稲田大学へ進学。大学在学中に学生結婚。その奥さんとは、高校時代の同級生であり、学校が終わると菊池川まで自転車で二人乗りをしていき、夕暮れせまる堤防でデートをし青春を謳歌していた。そんな行動を周りから冷やかされながら、当時としてはかなり進んだカップルであったらしいが、堂々と清い交際をされていた。

26歳で司法試験に合格した岡田さん。司法研修所に入って、青年法律家協会(青法協)に出会い、川崎公害、水俣病、労働事件等々、様々な現地に飛び込んでいった。大学までは「一歩引いて見つめる日々」を繰り返してきた岡田さんであったが、修習生となり、初めて社会人として職業を持つにあたり、「それまでの自分を全部リセットして一からやろうと思った。見てばっかりの自分ではなく、その反対に何にでも首をつっこみ、それから自分にあった生き方の選択をしたいという思いだった」という。漠然と裁判官を希望していた岡田さんの法律家像は、「自分が面白いと思えるところにいたい」「当事者と共有感を持てる仕事がしたい」「正義感、ヒューマニズムに立った仕事がしたい」とはっきりしていき、裁判官という選択肢はいつのまにかなくなった。
その後、弁護士になった岡田さんは、たくさんいる同期の中でトップで横浜弁護士会で副会長となった。優秀な同期たちがいる中、そうなれたのは、玉名で育った中で手にした自由とおおらかさと豊かさのおかげであると語る。
(平成16年6月1日号広報たまな)

 

困難への挑戦

〜壁にぶつかった時の解決策〜

弁護士岡田さんが、数々の試練や困難に立ち向かう姿勢には一つの信念がある。
人が豊かに生きたいと思うなら、まず、特に人間やいろいろなことに対して、好奇心を持つことが重要である。好奇心があれば、いろいろなことに挑戦したいと思うし、様々なことに出会うことができる。
しかしそんな中、誰でもが一度は壁にぶち当たる。
義兄の升本喜年(元松竹(株)映画プロデューサー)さんに言われたとのことだが、いろんな壁にぶつかったときの一番の解決策は、自分が今一番何をやりたくないかを考えろということであった。

つまり、一番適した解決の道筋のところを人は避けて通りたがる。本当はそれをすれば解決することが分かってはいるのだが、そこを通るのが嫌だから解決できない。
岡田さんは身近な例をあげた。いろんな悩みを持って相談に来た人に、悩みの状況に対してどこをどうしたらいいのかという質問をされることが多々ある。本当は解決策は分かっているが自分でそれを選択することができないでいる人が多いような気がする。
例えば、離婚話にしても、相手と離婚についてきちんと話し合いをもったことがあるかと尋ねると、話をするとこんがらがるからと話し合いに至っていない。解決するには、話し合わなければいけないのだと、感覚的に分かっているのだがそれをしたくないのである。
本人が今抱えている問題を避けたり逃げたら絶対に解決しない。結局、今自分が何をやりたくないかを考えて行動することが、逆に壁にぶつかった時の解決策となる。
これまで生きてきて、岡田さんも困難にぶつかり悩んだことがある。例えば、依頼された事件がたまっている時に、相談を受けてお金をもらっているのだが、遅れれば遅れるほどやりたくなくなる。やらなければいけないということは分かっているのである。意外と悩み事は、何が一番やりたくないかを考えてみるとよい。
人は、他人によって生かされている。その人のところに来るいろいろな事件が、弁護士を成長させる。他人と一緒に行動や仕事をともにすることで、初めてよくわかる。

30年間、弱者の立場に立った弁護をよく引き受けている。しかし、弁護士になる時にこんな風になるとは考えていなかった。事件を頼みに来る被害者のためにやってあげたいという思いからそうなっただけなのである。
「依頼者と仲間によって私は成長し、自分の生き方が豊かになった」。先例のない新しい事件の時には、「俺についてこい」という姿勢では何もうまく行かないのである。
岡田さんは、全部この事件は僕に任せろ的な考えを「悪しき経験主義」と言っている。
敏腕弁護士岡田さんの活躍は、まだまだ続く。


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