晒船着場跡
晒船着場跡(さらしふなつきばあと)
【種別】玉名市指定史跡
【指定年月日】令和2年11月24日
【所在地】玉名市滑石2257番地先
【所有者】国土交通省(管理責任者:玉名市)
【内容・特徴】
菊池川右岸の最下流部に位置する晒は、その地理的特徴から寛永16年(1634年)には川口番所が置かれ、のち晒番所として鉄砲や槍等が配備されました。文化5年(1808年)には、川床が浅くなり海辺の村々から高瀬御蔵まで遡るのが困難になっていたことから、晒に御米山床が設置されました。その後、天保5年(1835年)には高瀬御蔵の支所として機能させるために逐次整備され、年貢米輸送のために平田船からより大型の上荷船へ積み替える中継地点として重要な役割を果たすようになりました。
安政年間に作成された「菊池川全図」の晒周辺には、堤防沿いに上流から津口改小屋、ワク1基、俵ころがし2基、ワク2基が描かれ、また堤防内には俵ころがしに隣接して「晒御米山床」、下流のワク2基付近に「御番所」、「遠見」の施設が描かれています。このうち、俵ころがし2基と下流側のワク2基が残存しています。
晒船着場跡はこれまでの河川管理上、修復されてきた部分もありますが、近世の船着場としての形跡を良く残しており、船着場と俵ころがしが一体となって整備されている状況は、高瀬船着場跡以外では類例をみません。晒船着場跡は高瀬船着場跡とあわせ、近世の熊本藩が全国有数の米産地で、菊池川の水運を利用して年貢米を大坂の堂島へと積み出し、藩の財源としていたことの象徴として位置付けられる重要な遺跡であるとして、玉名市の史跡に指定されました。
晒船着場跡は、菊池川流域日本遺産の構成文化財です。
菊池川流域日本遺産ホームページ:菊池川流域日本遺産(外部リンク)
認定ガイド(有料):菊池川流域日本遺産ガイド(外部リンク)
【地図】