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高瀬船着場跡

更新日:2009年4月1日

高瀬船着場跡の写真所在地:玉名市永徳寺字414番地15地先

菊地川と繁根木川に挟まれた玉名市永徳寺部落に位置します。船着場の周囲には御蔵跡、御蔵山床跡、御茶屋跡など一連の関連遺跡が残っています。

高瀬船着場跡周辺は、中世には高瀬津と呼ばれており、伊倉の丹倍津とともに有明海沿岸の河港として唐船も出入りしていました。海外渡航や、貿易などで早くから重視され、南北朝時代にはすでに港としての体裁が整っていました。その後室町時代倭冦の頃には、本格的な港として成長をとげました。

事蹟通考編年考微巻六の中に「正平23年(1368)戊申2月、僧絶海寓肥後国高瀬津按二高瀬津ハ玉名郡高瀬河口ヲ云昔ハ高瀬津及伊倉丹倍津ニ唐船モ来着ス 高瀬伊倉一続 濱ニテ相隔コト半里ハカリナリ・・・」「高瀬ハ異邦ノ書ニモ載セリ 図書編ニ日、薩摩之北爲肥後云々 其奥爲開懐世利 爲達加什云々 往昔此地唐船入湊入唐航海輻セシト云ウ。」と高瀬に関する記事が掲載され、中世以降肥後北部の対外的に重要な港として栄えていました。

天正16年(1588)加藤清正の肥後入国後、大河川の治水と渡し場、米の集散場設置のため河口を改修しました。菊池川、緑川、球磨川を選び、その河口の高鵝八代、川尻の三河口をつくって、産業、経済、交通の中心をこれらの地に設定しました。

船着場周辺には菊地川流域の米の集積地として米蔵が設置され、城北産米の陸揚げと、積み出し船の発着場として整備が行われました。加藤氏の改易後、船着場は細川氏が受け継ぎ、堤防下の川岸に堅固な石畳と石垣を築き、間を切って米蔵へ通ずる石段と、米蔵より川へ通ずる石敷の坂道と川へ突出する石畳を設けました。上流の菊池、山鹿方面と玉名の一部から平田舟によって運ばれた米俵は上手の船着場より石段を登って蔵入され、蔵出し俵は「俵ごろばかし」と呼ばれる石敷の坂をころがして、停泊中の船へと積みこまれ大坂堂島の蔵屋敷へ納められた。流域からは年間25万俵が高瀬御蔵から積み出された米は「高瀬米」と呼ばれ大阪の米相場の基準となっていました。

川とともに発展した玉名の象徴であり、玉名市の歴史上、極めて重要な史跡です。

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