明治四年銘大浜町外嶋宮蔵廻船模型
明治四年銘大浜町外嶋宮蔵廻船模型(めいじよねんめいおおはままちとしまぐうぞうかいせんもけい)
【種別】玉名市指定重要有形民俗文化財
【員数】1隻
【指定年月日】平成20年10月14日
【所在地】―
【所有者】民間団体
【内容・特徴】
江戸時代中後期、大浜町は菊池川流域の「納屋物」(民間商人によって集散された問屋商品)と呼ばれる農産物の積出港として、また高瀬港の外港としての役割を果たしていました。当時は、10隻の大坂行きの廻船をはじめとして数十隻の船を所有し、繁栄していました。
大浜外嶋住吉神社の創建は、延久元年(1069年)に摂州浪速の浦(大阪府)から住吉大明神の神像を乗せた小船が漂着、漁夫の蜑父(たんぷ)一族が神社を建立し、健磐龍命と併せて祀ったと伝わっています。これにちなみ、年紀祭の御幸に舟の模型が使われる習わしとなりました。さらに、大浜町が廻船問屋となって以降は、この種の和船の廻船模型が使用されるようになったようです。
廻船模型は弁財船と呼ばれる船の形をしています。弁財船とは、安土桃山時代から江戸時代、明治にかけて国内での海運に広く使われた大型木造帆船です。本廻船模型には、製作年次を異にする同型の2隻があります。しかし、この明治4年(1871年)製作の廻船模型は、保存状態が最も良好な新しいもので、内部構造に至るまで精巧に作られています。全長2.98メートル、幅84センチメートル、深さ47センチメートルあり、千石積みの10分の1の大きさです。上半部は檜・杉材柾目、下半部は楠材を用い、低い格子目の飾り船縁を付け、木口の部分は銅板を張り、帆柱、櫓、方向舵、水樽、手桶類まで備えるなど、精巧を極めています。加えて、長さ1メートル、幅21.5センチメートル、深さ10センチメートル大の伝馬船(廻船などに搭載されたはしけぶね)まで備えています。船尾に置かれた水樽に「九州肥後玉名郡小田手永大浜町浮舟大明神正直新造、明治四年辛未二月中旬より八百年季、大賑ひ、西川口村長久丸内荷より出来、むた町桶屋寿助寄進」と墨書名があります。西川口村もむた町も大浜町内の地名で、長久丸は大浜最大の問屋大坂屋の持ち船であることから、おそらくは上方で建造された廻船模型を長久丸が積んで帰ったと考えられます。また、桶屋が寄進したのは水樽だけであったと考えられています。
現在も年紀祭の御神幸に使用されています。港町大浜の歴史を雄弁に物語る資料です。
※「蜑」は上にくさかんむりが付きます。
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