玉名郡倉跡
玉名郡倉跡(たまなぐんそうあと)
【種 別】玉名市登録遺跡
【員 数】―
【登録日】平成17年10月3日
【所在地】玉名市立願寺766-2 他
【所有者】個人
【内容・特徴】
奈良時代、疋野神社(ひきのじんじゃ)北側の台地上には、税として納められた籾を貯蔵する郡倉(ぐんそう)がありました。現地には倉の礎石(そせき)が原位置のまま遺っています。この礎石は、昭和31年の玉名高校考古学部の調査によって発見されたものの一部です。付近からは炭化した米も出土したことから郡倉跡と推定されました。また、この調査区の南側を平成4年に調査したところ、礎石を使った建物より古い時期の掘立柱建物の跡が確認されました。その隣接地を平成14年に調査した結果、規則的に並んだ建物跡が確認されています。これらの調査の結果、南北約30m以上、東西約50m以上の長方形区画に柵と溝を巡らせ、その中に南北2棟、東西4列の計8棟の米倉が造営されたと想定されます。当初は掘立柱で、8世紀代に礎石をつかう建物へ変わったと考えられ、その間も数回建替えが行われたようです。
『日本三大実録』の貞観17年(875)6月の条に「廿日辛未。大宰府言。大鳥二集肥後国玉名郡倉上。向西鳴。群烏数百。噛抜菊池郡倉舎葺草」と書かれています。貞観17年(875)6月、玉名郡倉上に大鳥2羽が集まったことと、菊池郡倉に烏数百羽が群れたことを、太宰府から報告したという内容です。倉の上に鳥が集まったという表現になっているが、この場合、倉が火災にあったことを意味しています。
【地図】
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