西郷小兵衛戦死の地碑
更新日:2009年3月2日
写真は西郷小兵衛の戦死の地碑と玉名町校区まちづくり委員会の解説。
明治10年2月27日の戦いで西郷隆盛の末弟、小兵衛が戦死しました。小兵衛は薩軍一番隊一番小隊長として自ら陣頭指揮し、弾丸に胸を貫かれて壮絶な戦死をとげました。記念碑は繁根木川下流にあります。
玉名町校区まちづくり委員会の解説の内容
22 西郷小兵衛(さいごうこへえ)戦死の地
西郷小兵衛は西郷隆盛の末弟。明治10年(1877)、西南の役に薩軍一番大隊一番小隊長として出陣。2月27日の高瀬をめぐる攻防戦で、繁根木川を境にして繁根木八幡宮に立てこもる官軍大部隊と激戦を展開、堤防上で陣頭指揮をとっていた小兵衛は銃弾を胸に受けて戦死しました。31歳の若さでした。
銃弾に倒れた小兵衛を担ぎだすために、薩摩兵たちが橋本鶴松家から雨戸1枚を貰い受け、それに乗せて高瀬川を渡り、桃田方面へ向かったこと。戦後、小兵衛夫人松子から橋本家に寄せられた丁寧な礼状は6通にもおよんだこと。はじめの墓標は、薩軍側についた熊本協同隊佐々友房の筆によるものなど、小兵衛をめぐる語り草はいまも土地の人々に語り継がれています。
平成17年3月
玉名町校区まちづくり委員会