大野下雨乞い奴踊り
大野下雨乞い奴踊り
- 玉名市選択無形民俗文化財
- 日本遺産構成文化財(第29番)
- くまもと県民文化賞地域文化活動部門表彰
天に突き上げ、地を固め、雨を呼ぶ。
秋の豊作を願い「奴をふむ」
岱明町大野下に鎮座する八大龍王神社は、地域で八龍王(はちろっさん)と呼ばれて親しまれ、大切にされている古い社。康保元年(964年)、大野郷主紀国隆が綿津見大神を祀り神社を造営したと伝わり、8体の龍神様の祠が並んでいます。八大龍王は、昔から雨を呼ぶ雨乞いの神様として知られており、日本各地で祀られています。
江戸時代の初め、加藤清正公によると伝わる土木事業によって、現在の友田川、行末川流域が耕作地となりました。しかし、この地域は水の便があまり良くなく、日照りが続くと水不足に困った農民たちによる雨乞いの儀式が行われてきました。戦後、ため池や水路などが整備され農業用水に困ることは少なくなり雨乞いは行われなくなりましたが、地域の伝統文化を継承していくため、昭和41年に保存会を結成。地域の行事として年1回、奉納されています。この奴踊りは、市の選択無形民俗文化財となっており、稲作文化との関係も深いことから、今年菊池川流域で認定された「日本遺産」の構成文化財の中の一つにも選ばれました。
奴地歌
奴出たちは世界の花よ
鼻でのんだらまだるいことよ
腕を衝いたる血酒をのませ
雲に懸橋なることならば
天に上りて大六天を
取ってこなしてきっきと言わせ
それが否なら大雨降らせ
降りに降ったる降っての奴
奉納神事
毎年7月下旬の朝、八大龍王神社に奉納した後、大野下の旧村社である大野下八幡宮で神事が行われます。今年2017年は7月30日の朝、晴天の下で神楽、子供雨乞い踊りなども奉納されました。奉納後は女性たちの華やかな踊りも披露され、旧大野下村(大野下東区、中尾丸区、馬場区、駅前区)の住民総出で行われる行事となっています。
竹に御幣とフロウ豆を付けた2人を先頭に、八大龍王神社での奉納へ。さやの長いフロウ豆には「長雨降ろう、降ろう」という願いが込められているという。
大野下雨乞い奴踊り保存会(森田幸孝会長)の踊り手たちが、太鼓と鉦と笛、「奴地歌」にあわせ地を踏み、拳を天へ突き上げる。
踊り手は白法被に鉢巻、手甲脚絆にわらじという参勤交代の時の奴姿で、左腰に木刀、右腰にはヒョウタンを下げる。
日本遺産の構成文化財の一つに
大野下雨乞い踊りは菊池川流域のほかの雨乞い習俗とともに、日本遺産「米作り、二千年にわたる大地の記憶〜菊池川流域「今昔『水稲』物語」〜」の構成文化財の一つに認定されています。
雨乞い奴踊りに20年関わる長谷晃さん(85歳、大野下東)
「もともとは踊りとは呼ばず『奴をふむ』と言い、戦前は本当の雨乞いの時のみでした。私が13歳だった昭和19年の干ばつの時には、山伏が祈祷したがダメで、地区の人たちが3日3晩神社にこもって奴をふみ、まさに祈るような気持ちで拳を突き上げ、腰を落として地を固めていました」
引用元:「大野下雨乞い奴踊り」『広報たまな』平成29年9月号抜粋(PDF 約678キロバイト)
※本ページは上記記事を元に加筆・修正して作成しました。文中の人物の年齢・肩書きは平成29年9月1日現在のものです。