「金栗足袋」金栗さんが創意工夫と努力で生んだ、日本のマラソンシューズの原点
金栗さんが創意工夫と努力で生んだ日本のマラソンシューズの原点
金栗足袋
まだマラソン用シューズが無かった明治時代、選手はお座敷用の足袋を履いて走っていました。オリンピック選手の金栗さんでも、学校近くの足袋屋「ハリマヤ」で買ったハゼ付きの黒足袋を履いてストックホルム大会に出場。裏底に二重、三重に厚い布を付けた特製品だったものの、固い舗装路にはクッションが足りず膝を痛める結果に。
帰国後、ハリマヤの黒坂辛作と足袋の改良に取り組み、外国選手が履くゴムを底に付けたシューズがヒントとなってゴム底の足袋が生まれました。
次に、足首の動きをスムーズにするため足首まである深い足袋から浅い形に変え、ゴム底の研究も重ねました。金栗さんが履いて走り、ハリマヤが改良することで、走るための足袋はどんどん進化していきます。
1919年には「金栗足袋」として商標登録され発売。金栗さん自身も第7回オリンピック・アントワープ大会や第8回のパリ大会など、現役時代には金栗足袋で走りました。
大正時代末期にはハゼをやめて、甲にヒモを付けるシューズ型になりました。その後、多くのマラソン選手に愛用され世界王者も生み出します。戦後、ハリマヤは靴型のマラソンシューズを開発。その靴を履いて1953年ボストンマラソンを走った山田敬蔵選手は見事優勝しました。金栗さんとハリマヤが二人三脚で作ったシューズは、多くのランナーに愛用されました。
「軽快にして履き心地よく、足を痛めず、かつ廉価にして遠足用にも適当」(当時の売り文句)
金栗さんが使用した貴重な“金栗シューズ”
徳永愼二さん所蔵のハリマヤ製マラソンシューズ。家が近所で金栗さんと親交があった徳永さんの父重敏さんが金栗さんから譲り受けた物です。
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