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玉名の戦争を伝える 「大浜飛行場」

更新日:2019年3月26日
玉名平野に1年数カ月存在した大浜(玉名)飛行場。
その存在は、戦時中の玉名の人たちの暮らしとその後に、大きな影響を与えました。
終戦の8月、戦争と平和を考えてみませんか。

大浜飛行場の空と練習機の写真


 

 

玉名の戦争を伝える「大浜飛行場」


大浜飛行場の写真
この写真は航空写真(平成19年撮影)の大浜飛行場跡地部分に飛行場模型を合成したものです。
飛行場は昭和18年9月、現在の大浜町、北牟田、横島町大園の水田地帯を埋め立てて建設が始まりました。
今も残る飛行場の痕跡を紹介した解説シートを歴史博物館で配布しています。

飛行場正門の写真



今は住宅地となっている場所残る、玉名教育隊の正門門柱。

水田地帯が飛行場に
玉名に飛行場建設が予定されたのは太平洋戦争のさなか、昭和17年の春。当初、大浜町北側の水田地帯と磯鍋の大正開(現岱明町)が候補地とされていました。翌昭和18年には大浜小学校に建設予定地の地主約3百人が集められ、陸軍からの一方的な説明の上、9月20日までの立ち退きを命じられました。
 
昭和18年9月、当時の大浜町、豊水村、横島村にまたがる水田地帯250ヘクタールを埋め立て、一辺1.5kmの広さの飛行場建設が始まりました。建設作業に従事したのは、玉名郡内の大工はもとより、鹿児島の大工や朝鮮人労働者、勤労動員による多くの学生、地域住民です。
 
表:大浜飛行場のできごと
 西暦できごと 
1941 真珠湾攻撃/米英に宣戦布告(12月)
1942  飛行場建設候補地の一つとなる
1943 大浜飛行場建設決定
9月20日までの立ち退き命令
1944 大浜飛行場一部完成(3月) 
少年飛行生120人入隊(4月初)
開隊記念式典(5月14日)
特別幹部候補生120人入隊(8月)
1945  教育隊廃止、錬成飛行隊に改編(4月)
米軍B29による空襲(5月10日)
米軍艦載機による空襲(5月13日)
 錬成隊、米子に一転(5月)
 戦闘集団の配当飛行場となる(5月)
 練習特攻機の中継基地となる(7月)
 中等練習機が民家に墜落(7月29日)
 敗戦・終戦(8月15日)
1946  飛行場跡地に玉名開拓団入植開始
飛行兵育成のための飛行場
昭和19年3月になると施設の一部が完成し、4月には10代後半の少年飛行兵120人を迎えます。飛行場建設と並行しながら、陸軍大刀洗飛行学校の分校「玉名教育隊」として飛行兵の養成が行われました。
 
教育隊の隊員たちの写真  
陸軍飛行学校玉名教育隊隊員たち。昭和19年末に入校した特別幹部候補操縦生の訓練風景で、訓練終了後に兵舎まで駆け足で戻る場面。ここで4カ月の訓練を受けた後、米子飛行場で特攻訓練を受けました(背後は伊倉台地)。

昭和19年5月14日、開隊記念式典を挙行。式典中には、搭乗員2名が死亡する不幸な墜落事故が起きています。玉名教育隊には操縦指導員のほか本部の将校や事務員、整備班、医療や炊事、被服など多様な職種の人々がいて、地元玉名の人々も直接関わりました。

当初、滑走路工事の遅れから離着陸距離が短くてすむ複葉の練習機を使用し、より実践的な機体での訓練へと移っていきました。4カ月にわたる訓練を終えた少年飛行兵は7月に卒業、8月には入れ替わりで陸軍特別幹部候補生操縦第1期生が入隊し新たな訓練が始まりました。

 
基本練習機の写真三ノ岳を背に飛ぶ陸軍四式基本練習機

練習機の模型の写真大浜飛行場を飛んでいた2人乗りの陸軍四式基本練習機「ユングマン」(愛称「赤とんぼ」)の模型。



戦況の悪化、2度の空襲
 
戦況の悪化に伴い、昭和20年2月には陸軍飛行学校のほとんどが廃校となり、玉名教育隊は錬成部隊である空542部隊へと改編されます。
 
そして沖縄でし烈な戦闘が行われていた昭和20年5月10日と13日、九州各地で大規模な空襲があり、大浜飛行場も大きな被害を受けました。10日午前7時50分の空襲ではB29戦略爆撃機2機から250kg爆弾20発が落とされ、本部や車庫などが全壊。民家への被害はありませんでしたが、滑走路や建物が爆撃され軍人・軍属5人が亡くなりました。さらに13日午前7時35分、米空母2艦からの艦載機59機による空襲を受けました。142発の小型爆弾と機銃掃射で格納庫など飛行場の建物は完全に破壊されて訓練は継続困難となり、錬成隊は鳥取(米子)飛行場へ移駐し、特攻訓練を継続することに。
 
この5月13日の空襲では飛行場に隣接する大浜町の民家や役場にも爆弾等が落ち、民間人12人が亡くなり、十数戸が焼失。多大なる被害を受けました。
飛行場の終焉、そしてー
錬成部隊が米子へと移った後は、県内9カ所の飛行場に実戦機・特攻機多数が配備されました。空襲で格納庫などが使えなくなったことから、飛行場東側の野部田地区に飛行機を隠す掩体壕を十数基造り、搭乗員は法光寺(野部田)に寄宿。整備員は付近の住宅に、警備要員は天水・大園に急造した兵舎に分散し、滑走路は現在の県道玉名小天線の直線部分を臨時的に利用しました。
 
その後特攻隊の中継基地としてたびたび利用され、7月末の振武隊の移駐時には夜間の着陸に失敗、民家に墜落して幼児が亡くなる痛ましい事故も起きました。終戦後、飛行場跡地は農地として復員者に払い下げられ現在に至っています。

法光寺に残された日の丸の写真


法光寺(天水町野部田)に残された日の丸の寄せ書き。昭和20年5月の空襲後、大浜飛行場に移駐してきた第90・91振武隊(特攻隊)などの搭乗員は法光寺に寄宿、そこで終戦の日を迎えました。

大浜飛行場跡の水田の写真


 

戦禍の記憶 

戦時に生まれて父を知らない

中嶋征子さん(73歳,中尾)大浜町(瀬戸町)生まれ
中嶋征子さんの写真
中嶋征子(旧姓戸嵜)さんは、昭和20年大浜町生まれ。ですが、前年すでに出征していた父は米軍の攻撃で船が沈没、戦死していました。大浜町民12人の犠牲を出した5月13日の空襲では自宅が爆撃を受け、生後25日目の征子さんは倒壊した家屋のがれきの下敷きに。被害状況を確認に出た警察官がかすかな音(声)に気づき、保護されました。重さ数10kgはある縁側の庭石が3軒先の家の玄関先まで飛ばされていたそうです。それほどの爆風だったにもかかわらず、ケガだけで助かりました。
 
惨事の中での征子さんの救出劇は、大浜町の古老には「戦時中の奇跡的できごと」として記憶されています。助けてもらった警察官とは中学生の時に再会でき、その後ながく交流が続きました。
 
 大浜町の人々は、飛行場建設によって家や田畑を手放すことになり、将来の生活に大きな不安が生じました。そして、飛行場がすぐ側にあったがために、空襲を受けて人が亡くなり、建物や財産に大きな被害を受けたことを忘れてはなりません。夫を戦争で亡くしたお母さんや上の兄姉は働き通しで苦労されたとのこと。戦争がなければ、飛行場がなければ、一家のその後は変わっていたことでしょう。
 
「こんなことが二度と無いように、大浜の町にそういうことがあったことを伝えていかないといけない」と話す征子さんは、数年前から有明中学校の生徒に体験談を語り、若い世代に平和への思いを伝えています。
 
田邉達夫さん(88歳,大浜町)大浜町の歴史と文化を伝承する会
田邉達夫さんの写真田邉さんが中学生の頃は、大浜飛行場が建設中でした。勤労奉仕で、スコップを持って飛行場建設に従事。「だいぶん鍛われました」と話します。

大西一則さん(87歳,大浜町)大浜町の歴史と文化を伝承する会
大西一則さんの写真大西さんは整備要員として2期生で入りました。空襲のためすぐに米子へと移動することになるも、2カ月で終戦。終戦の混乱によるデマなどで、玉名に「帰ってくるのが大変だった」そうです。「違う仕事についていれば人生が変わっていたかも」との言葉が印象的でした。

平和と命の尊さを次の世代へ

玉名市戦没者合同慰霊祭
玉名市戦没者合同慰霊祭の写真
毎年4月下旬、玉名市戦没者合同慰霊祭が玉名市民会館で執り行われます。今年は4月26日、戦没者遺族など約350人が参列。今日の平和と繁栄の礎となられた戦没者の尊い犠牲に思いをいたしながら、各校区の遺族会代表、参加者が次々と祭壇に献花しました。
 
戦後70数年が経つなかで、平和の尊さ、戦争の悲惨さを忘れず、国のために亡くなった方々に哀悼の意を表するための慰霊祭です。
 
※慰霊祭の日程は毎年『広報たまな』4月号でお知らせします。
  • お問い合わせ 総合福祉課(0968-75-1121)

 

記録を紡ぐ 

くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク 

戦争の記憶を語り継ぎ、平和の大切さを学ぶために

平成17年5月に「玉名荒尾の戦争遺跡をつたえるネットワーク」として活動を始め、平成26年8月に組織拡大して「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」として新たに活動を開始しました。熊本県内に所在する「戦争遺跡」に焦点をあて、その記録保存や検証、地域の文化遺産としての価値付け、後世に「戦争の記憶を語り継ぎ、平和の大切さを学ぶこと」を目的に活動しています。また、戦争遺跡保存全国ネットワークや、空襲・戦災を記録する会全国連絡会議との連携で、活動の幅を全国にも拡げています。

最近は、熊本県内の戦争遺跡の保存活動、平和活動などを行っている団体との情報交換会「戦争遺産フォーラムくまもと」をスタートさせ、その中核的な立場を担っています。さらにこれまでの活動の集大成として、熊本に戦争と平和のミュージアム「ピースくまもと」の設立を目指す活動を進めています。

戦後70年以上が経過し、戦争体験者の証言を聞く機会は急速に失われようとしています。今に生きる私たちは、それを正確に記録し、 残された戦争遺跡にその証言を重ね『戦争遺産』として保存に努め、未来に伝えていきたいと思っています。

 「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」のホームページでは、活動記録やイベント案内のほか、刊行物などが詳しく紹介されています。

高谷和生さん(63歳,立願寺)くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク代表 
高谷和生さんの写真残された戦争遺跡や戦時資料等から戦争の実相を感じ取り、平和の大切さを考えて欲しいと思います。
戸嵜孝行さん(67歳,大浜町)くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク
戸嵜孝行さんの写真
地元有明中学校の生徒さんへの出前講座など、大浜飛行場のことを知ってもらう啓発活動も行っています。

県立大学津曲研究室 

大浜町を歩き、学び、伝える
県立大学津曲研究室の学生の写真
2018年6月23日に、県立大学の学生チームが大浜町内を歩いて町の成り立ちや暮らしの変化を調査しました。かつて大浜飛行場があった場所(旭町公民館)では、当時を知る田邉さん、大西さんからその頃の体験や飛行場の様子などを直接聞くことができました。
 
まち歩きの結果は、今月号から連載が始まった「たまらんセレクト」の平成30年9月号掲載分でお伝えします。

学び、伝えよう 平和の尊さ

戦時下の暮らしを伝える玉名市民の声・写真
玉名から戦地へと出征した方々の記録や、戦時下の困難な状況で暮らしてきた人々の証言・体験談はまちの歴史を記録した『岱明町史』や『天水町史』などで読むことができます。
 
また、歴史博物館こころピアでは定期的に戦時下の玉名の様子を伝える企画展を開催してきました。遺品や当時の写真など、戦争資料をまとめた図録を刊行しています(販売中)。
特攻隊員と女学生の写真
振武隊員と法光寺の人々、高瀬高等女学校の女学生
玉名市史などの写真
左下はくまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク発行の「大浜飛行場」リーフレット
  • 「大浜飛行場」リーフレットは文化課窓口(0968-75-1136)で配布しています。

引用元:「玉名の戦争を伝える-大浜飛行場」『広報たまな』平成30年8月号抜粋(PDF 約908KB)
※本ページは上記記事を元に加筆・修正して作成しました。解説役の人物の年齢・肩書きは平成30年8月1日現在のものです。

特集ページ 1枚目の画像


特集ページ 2枚目の画像


 終戦直前米軍撮影の大浜飛行場

くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークが確認

米軍が撮影した大浜飛行場の写真


米国立公文書館には、太平洋戦争中の日本に関する記録が多く保管されています。空襲・戦災を記録する会全国連絡会議の工藤洋三事務局長は、熊本県内にあった5飛行場の写真を新たに確認し、くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークの高谷和生代表らと共に公表しました。その中には大浜飛行場の写真10枚(昭和20年7月27日撮影)が含まれています。大浜飛行場の写真は、これまでに昭和20年3月10日撮影の航空写真などが確認されており、これに続く貴重な成果です。

大浜飛行場は、昭和20年5月10日にB29爆撃機、13日に空母艦載機の攻撃で大きな被害を受け、民間人の死傷者も出ていました。今回確認された写真は、6月下旬に沖縄戦が終わり、本土決戦が予想される中で撮影されたものと考えられます。鮮明な画像で、飛行場北側の城ヶ崎、南側の横島山(外平山)を崩して土砂を運んでいるルートや、水田を埋めて造成されている範囲、爆弾跡とみられる丸い穴らしきものがはっきりわかります。飛行場以外の部分でも、現在は圃場整備などで失われた地割がわかる貴重な写真です。

末永崇さん(横島町)くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク

末永崇さんの写真
「小さい頃、北牟田に住む親戚の家に行くことを「飛行場に行く」と言っていました。この写真で飛行場の位置と広さがよく分かります」

 

元特攻隊員と天水との交流

天水町野部田・法光寺

振武隊員と法光寺の人たち振武隊員と法光寺の人たち


昭和20年7月末、中継基地となっていた大浜飛行場に移駐してきた第90・91振武隊(特攻隊)の隊員24人は法光寺に寄宿。出撃直前、そこで終戦の日を迎えました。

各地に復員した隊員たちは戦後40年近くが過ぎた昭和59年から法光寺に集まり、「法光寺会」を定期的に開催して交流が続きました。駐留当時は毎晩地元婦人会や近所の人たちが慰問に訪れていて、小天の福嶋住子さんは辞世の歌などの寄せ書きを戦後も大切に保管し、平成4年、47年ぶりに隊員と再会できたそうです。平成2年には、記念碑が本堂前に建立されました。

記念碑と野田顕龍住職の写真記念碑と野田顕龍住職


日の丸の寄せ書きの写真法光寺に残された日の丸の寄せ書き



 引用元:「終戦直前米軍撮影の大浜飛行場」『平成30年9月号』抜粋(PDF 約1MB)

※本ページは上記記事を元に加筆・修正して作成しました。解説役の人物の年齢・肩書きは平成30年9月1日現在のものです。

広報たまな平成30年9月号の写真


 


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