ストックホルム訪問〜消えていなかった日本人〜
スウェーデンのストックホルムソレントゥーナ市は、金栗先生が1912年に日本人として初めてオリンピックに出場し、無念にも熱中症で倒れた場所であり、現地では「消えた日本人」として今も語り継がれております。
昨年、そのソレントゥーナ市で、現地の企画実行委員会や在スウェーデン日本国大使館の協力のもと「金栗企画展」が2カ月間開催され、本市からも金栗トロフィーやノベルティの提供を行い、大盛況であったと伺っています。その企画展に、金栗先生に興味をもたれたストックホルムマラソンのCEOから大会への招待を受け、今回のスウェーデン訪問に繋がっております。
本市としては、この物語の足跡を辿り、襷をつなぎ新しい章を加える一助となるよう金栗四三とスウェーデンとの交流を顕彰していきます。
駐スウェーデン日本国大使公邸
ストックホルム到着初日は、まずはじめに駐スウェーデン日本国大使公邸を訪問し能化正樹特命全権大使と面談しました。
大使館には昨年9月にソレントゥーナ市で開催された「金栗企画展」で協力をいただいたこと、また今回各訪問先への調整・同行をいただくことに、藏原市長がお礼を述べるとともに、今後スウェーデンでの金栗事業への継続的な協力をお願いしました。
(能化正樹特命全権大使に金栗ノベルティ一贈呈)
ペトレ家
次に、1912年に金栗さんが日本人として初めて出場したストックホルムオリンピックで、途中でコースを外れた時に介抱していただいたペトレ家のひ孫にあたるタチアナ・ペトレ夫婦を訪問し、3人のお子様も同席されました。タチアナさんは、当時のマラソンパンとラズベリージュースを用意されており、金栗さんがオリンピックから55年後に再びペトレ家に来られた際に同じものを召し上がられたというペトレ家で代々伝わるエピソードを話されました。
藏原市長は「1912年に金栗さんを介抱いただきありがとうございます。日本マラソンの父が生まれたのはペトレ家のおかげです。」とお礼を述べられ、タチアナさんは「娘たちの代になってもペトレ家は金栗事業を応援していきます。また近いうちに玉名市を訪問したいです。」と金栗さんと本市への思いを語られました。
(ペトレ家での歓談)
(ペトレ家秘伝のマラソンパンとラズベリージュース)
ソレントゥーナ市
ぺトレ家訪問の後は、金栗さんがストックホルムオリンピックで倒れた地点があるソレントゥーナ市を訪問し、ヘンリケ・チュリス市長やトーマス・ナイマン市委員、市の国際交流担当者と面談しました。ソレントゥーナ市の説明を聴講後は、金栗さんが当時マラソンの途中で倒れた場所やレースの折り返し地点の記念碑を視察し、現地でオリンピック当時の説明を受けました。藏原市長は昨年の「金栗企画展」開催を契機に今回のストックホルムマラソンや日本人補習校への金栗トロフィーの贈呈など様々な事業へ波及したことへのお礼を述べられるとともに、IT教育が進んでいるソレントゥーナ市の児童と本市の児童とのオンライン交流の提案をしました。
(写真左からトーマス・ナイアン市委員、藏原市長、ヘンリケ・チュリス市長)
(ソレントゥーナ市との意見交換)
(1912年ストックホルム・オリンピックマラソンの折り返し地点)
国立スポーツ博物館
ストックホルム初日の最後は、5月31日から10月1日まで開催される「金栗企画展」のオープニングセレモニーに出席しました。この企画展は、昨年ソレントゥーナ市で開催された「金栗企画展」が好評だったことから、本年もスウェーデン国立スポーツ博物館に会場を移して開催されることになり、本市からものぼりやパンフレット、ノベルティの提供などの協力を行いました。オープニングセレモニーでは、藏原市長が「我々日本人、そして玉名市の誇りであり、『消えた日本人』として有名な金栗さんの企画展を開催していただき感謝いたします。」と挨拶を述べました。
(オープニングセレモニーで市長が挨拶、右は澤田国際交流アドバイザー)
セレモニーの中では、藏原市長にペトレ家から伝統のマラソンパンやラズベリージュースのレシピとエプロンのサプライズプレゼントがあり、来場者には琴や尺八など日本式のおもてなしで温かく賑やかな雰囲気で盛り上がりました。
(ペトレ家によるエプロンとレシピ提供のサプライズ)
ラズベリージュースとマラソンパンのレシピ(PDF 約764KB)
(琴や尺八など日本式のおもてなし)
(会場の様子)
(会場の様子)
(ノベルティやパンフレット提供の様子)
日本人補習校訪問
ストックホルム2日目は、日本人補習校を訪問しました。補習校とストックホルム日本人会、日本商工会の共催で行われる運動会において7種目の優勝者に渡される金栗トロフィーを、藏原市長が生徒代表に贈呈しました。生徒代表の石井リオン君は、「この運動会で優勝するためにこの3年間練習を頑張ってきたので、優勝してこのトロフィーに歴史を残したい」と力強く抱負を述べられました。終了後は、補習校の神原運営委員長やストックホルム日本人会の大木会長、日本商工会の高橋会長と面談し意見交換会を行い、本市の学校とのオンライン交流や日本人会が開催するストックホルムでのイベントへの参加など本市と日本人会との様々な交流について語り合いました。
(日本人補習校でのストックホルム日本人会と日本商工会との面談)
ストックホルムマラソン
最後に、今回の訪問の最大の目的であるストックホルムマラソンでの金栗トロフィー贈呈のため、ストックホルムスタジアムへ向かいました。大会が始まる前には、マラソングルッペンCEOのデービッド・フリデル氏と面談し、次の2028年のオリンピックの年までの金栗トロフィー贈呈の継続を約束しました。このストックホルムマラソンが開催されるスタジアムは、1912年のストックホルムオリンピックのメイン会場として使用され、金栗さんもこの会場からマラソンコースへスタートをしました。大河ドラマ「いだてん」も撮影された、建築当時の姿を残したまま現存している歴史あるスタジアムです。
(マラソングルッペンCEOのデービット・フリデル氏と面談される様子)
この歴史あるスタジアムでストックホルムメモリアルと記された金栗トロフィーを受賞されたのは、今回のマラソン参加者であるアンダース・サルカイ氏。サルカイ氏は2001年にストックホルムマラソンで優勝し、オリンピックや世界選手権で活躍され、引退後は金栗さんと同じく、国内のランナー育成に努められました。同氏がゴール後、司会から「消えた日本人」で日本マラソンの父である金栗さんゆかりの地、日本の玉名市から金栗賞が贈呈される旨の説明がアナウンスされると会場からは盛大な歓声がわき起こりました。藏原市長からトロフィーを贈呈された同氏は「日本マラソンの父である金栗氏の精神を受け継いで取り組んできたマラソンの普及活動を評価され大変うれしい。」と述べられました。
(サルカイ氏へ金栗トロフィーを贈呈)
(玉名市が紹介される様子)
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