金栗さんはまんじゅうしか食わない!?
アントワープ大会出場時の金栗さん(1920年、29歳)
練習後の空腹はまんじゅうで
より速く走ることを目指して若い頃から訓練を重ねていた金栗さんは「腹が減っては戦はできん」という主義で、食をとても大事にしていました。
金栗さん2回目のオリンピック、1920年アントワープ大会のためベルギー遠征中の金栗さんへ宛てた友人からの激励の手紙には「金栗さんは饅頭しか食はぬから、一緒に遠くへ練習に出て腹が減ると困るって、大浦・茂木両君がこぼして居ましたよ」とあります。この当時、金栗さんは練習後に必ずまんじゅうを食べるという評判が仲間内で定着していたのでしょう。練習で走って腹が減っても、ヨーロッパの街でまんじゅうの買い出しはできません。この手紙には、長距離走の後輩2人が困っているので、他の物も食べなさいと金栗さんをいさめる言葉が続いています。こうと決めたら貫き通す金栗さんの一本気な人柄が伝わりますね。
学生時代も練習が終わると徒歩部の後輩にまんじゅうをごちそうしたりしては「今日はほんとによくやった。明日から強くなるばい」と言って励ましたそうです。昭和6年(1931)上小田の家に帰ってきた40歳頃でも、玉名中学の校庭に集め指導していた若者たちに、練習後はまんじゅうを振る舞うほど。走った後はまんじゅうというのが、金栗さんには定番だったようです。
玉名に帰って来た後の40代前半の金栗さん。小田尋常高等小学校で小田の子どもたちと。大福、まんじゅう、いげん葉だご
金栗さんの伝記や残された日記、手紙などの資料には、まんじゅう以外にもよく甘いものを食べていた記述が見られます。東京高等師範学校1年目の時は、寄宿舎の食事では足りず売店に行き大福を食べなおしていました。連日猛練習していた2年目には、寄宿舎の夕食に加えて豆腐を買って食べ、それでも30分もするとお腹がグーグーと鳴り出すのでよく売店へ行っては大福を食べていたのだそう。
スヤ夫人手作りのきな粉餅をはじめ、ご親族の思い出話には、酒まんじゅう、羽二重餅、いげん葉だごなどが登場します。特にお孫さんが「じいちゃんがよう食べよらした」と話す「いげん葉だご」は、スヤさんと長女政子さんが共同作業で大量に作っていて、だごが詰まったカゴがいくつも家の天井からぶら下がっていたそうです。
いげん葉だご
餅のようなだんごで小豆あんを包み、「いげの葉」で包んで蒸したもの。小田周辺では各家庭で手作りして食べるだんごの定番。写真のだごは、金栗(池部)家のお隣さんである徳永アヤ子さん(上小田)手作りのもの。もちもちした食感の素朴な味で何個も食べたくなるおいしさです。
甘い物好きだった金栗さん
金栗さんは、24歳頃に書いたマラソン練習法の本にも「自分も走っていると自然に何か糖分が欲しくなり、蒸し菓子でも食べたいと思うことがある。そんな時は2つ3つ食べるのがよいが、度を越すと胃に害をなす」という風に書いています。蒸し菓子と言えば、まんじゅう。本当にお好きだったのでしょうね。後半生を過ごした玉名市でも、高瀬の和菓子屋さんによく寄っていたそうで、そのお店には「体力・気力・努力」の金栗さん直筆の書が飾られています。
引用元:「金栗さんはまんじゅうしか食わない!?」『広報たまな』平成30年9月号抜粋(PDF 約606KB)
※本ページは上記記事を元に加筆・修正して作成しました。
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