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中田整一さん

更新日:2009年1月1日

「歴史に忠実」な番組づくり

〜NHKスペシャル制作にあたり〜

NHKの主力番組「NHKスペシャル」。そのスペシャル番組部長として、活躍されていたのが中田整一さん。昭和16年岩崎生まれ。NHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争」やNHK特集「戒厳司令・交信ヲ傍受セヨ〜2・26事件秘録」、「2・26事件・消された真実」、「憲法100年天皇はどう位置づけられたか」など数多くの作品を手掛けられた。正と負の遺産を多く残した激動の「昭和時代」を多くの国民に伝えてこられた。特に昭和史のターニングポイントといわれる2・26事件の特番では、当時の主席検察官、匂坂春平氏の残した資料を初めて世に紹介され、「検察秘録2・26事件」の出版にも関わるなど、テレビ番組制作者の枠を越え、歴史研究者としても尽力されている。

主に昭和史を手掛けてこられた中田さん。戦後50年を公共放送の立場で総括されてきた。さまざまなスペシャル番組制作のため取材した国は、かつての対戦国アメリカをはじめ、イギリス、ロシア、フランス、オーストラリア、そして戦場となったフィリピンをはじめ東南アジア各国など35カ国。ガダルカナルやインパール作戦などを追いかけ、地を這うような取材も中田さんがモットーとする「歴史に忠実」な番組づくりのためだった。

1000万点の収蔵品(秘宝)をもつ大英博物館のシリーズでは、秘宝を手がかりに現地遺跡をロケ。その取材は、約3年にもおよんだ。

「中田くんは、何ごとに対してもとても前向きで、やさしいながらも正義感が強く、人情味のある子どもでした。NHKのスペシャル番組は欠かさず拝見しています。番組も中田くんの性格がよく出ていて、とても奥が深く、努力家なところは子どもの頃から変わりません」と玉名町小で1、2年生時の担任だった河崎在住の樋口ミドリさんは、中田さんが執筆された本を見せながら得意げに話された。樋口さんは、毎年秋になると梨を中田さんに送られる。それが届くと中田さんは、主客転倒でありながらも、恩師の無事息災を知ることができるという。

平成8年、NHKの教育・教養番組制作会社のNHKエディケーショナルの常務取締役。現在は、2・26事件のような戦後に至るまで封印されてきた原資料などの紐解きで、軍国主義の形成過程と政治的影響をどう与えたか、またこれらの事件などにおけるラジオ放送・新聞などメディアの役割を伝えるため、大正大学の教授となり、文学部国際文科学科で現代日本のマスメディアについて講義されている。
なぜ放送の世界に入り、激動の「昭和時代」を国民に伝えたかったのかは幼少・少年時代の原体験にあった。
(平成14年9月1日号広報たまな)

昭和に起きた事実を放送したい

〜幼少・少年時代の原体験〜

NHKスペシャル番組部長、クローズアップ現代の編集長等を務められ、激動の昭和時代を多くの国民に番組を通して伝えてこられた中田さん。「歴史に忠実」な番組づくりをモットーとされてこられた。
そもそも放送の世界に入ったのは幼少・少年時代の原体験がカギとなる。その思いは、長崎への原爆投下時のきのこ雲、小学校の修学旅行で見た長崎の戦渦の悲惨さなど、少年時代に体験したことが脳裏に焼き付き離れなかった。

昭和という激動の時代を映像化すること、昭和に起きた事実をテレビを通じて世の中に伝えること、これをライフワークと信じて放送界へ身を投じたのである。
「私には、戦争の直接的な体験はほとんどありません。従って生意気にそれを語る資格もありません。私は太平洋戦争開戦の年、昭和16年10月生まれです。2カ月後、戦争が始まりました。ただ一つの戦争の記憶は、昭和20年8月9日、長崎のきのこ雲です。玉名から雲仙岳の西の裾野に高々とのぼる原子雲を目撃しました。それはピンクとも紫ともつかぬ美しい色でした。成人するまでなぜか色彩の記憶だけは残っていました。もちろん4歳の子どもにとってその時何が起こったのか、分かろうはずもありません。しかし後年、私の意識の中で、この細やかな体験は細胞のごとく増殖して、自分の仕事をかろうじて支えるバネとなったように思えます」。

玉名町小学校から玉名中学校に進み、熊本高校へ進学。九州大学法学部法律学科を卒業後、晴れてNHKに入局。山口放送局のディレクターに就任。その頃の昭和43年が明治百年ということで、歴史番組の制作に取り組む。学校放送でもシーボルトを取り上げるなど、その当時から不思議と歴史ものとのかかわりがあった。

東京本社の教養番組部に配属が決まった昭和46年。東京の檜舞台に立った当時の初仕事は、当時人気の歴史番組「日本史探訪」での「細川ガラシャ」。お国自慢ということもあり、とりわけ力が入った。苦吟の末、やっと台本を書き上げ、自信満々、上司たるデスクの検閲を受けるべく、留守の机に置いて帰った。しかしその深夜、突然電話が鳴り、デスクの声は怒りに満ちていた。つたなくて、とても放送には耐えない文章だと。2間しかない中田さんの家に彼が飛び込んできて、愛の鞭は容赦なく、2人で明け方まで台本の書き直し。しかし時間切れでその日のナレーションは中止となった。この間、奥さんと生後間もない長女はどこにいたのだろうか。赤ん坊の泣き声を漏らすまいと冬空の下、夜明けまで戸外にいたという。近年、長女をお嫁に出す前夜、奥さんより聞かされたと話される。

その後同番組で、昭和史と直接の関係はないが、加藤清正や小林一茶、井原西鶴、相楽総三など数多くの人物を3年間にわたって取り上げた。
昭和49年から始めた昭和史に関する番組「スポットライト」では、2・26事件やペニシリン誕生などを取り上げ、中田さんのNHKスペシャル代表作の基礎づくりとなる。
中田さんの仕事の原点は、少年時代の自分を育ててくれた故郷玉名の自然や風土の中にあると話される…。
(平成14年10月1日号広報たまな)

努力の積み重ねが必要

〜故郷玉名の子どもたちへ〜

正と負の遺産を数多く残した激動の昭和時代を、公共放送の立場で歴史に忠実に多くの国民に伝えてこられた中田さん。制作番組や個人の部でマスコミ界一級の賞を数多く受賞した。現在はその審査をする文化庁芸術祭賞テレビドキュメンタリー部門の審査委員長を努められ大正大学の教授となり現代日本のマスメディアについて講義されている。

「人生における五つの幸せをあげるとすれば、一つに、家庭や健康に恵まれること、二にかけがえのない友をもつこと、三に尊敬する人(先輩、後輩問わず)をもつこと、四に確固たる人生哲学をもつこと、五に胸をはって誇れる自分自信の歴史をもつこと。これまで少なくとも三つ目までは十分に恵まれたが、それも自らの力ではなく相手の支えがあってのもの」だと話される。昨年まとめられた小冊子「昭和わが忘れ残りの記」の中におさめられたよせ書きにも、作家の角田房子さん、澤地久枝さん、日本画家の堀文子さん、明治大学名誉教授の小川康男さんの名が連なる。ほとんどの方が20数年間の交遊。中田さんのいう“人生、支えがあってのもの”が分かる。

中田さんのライフワークともなった2・26事件の真相解明。その裏側には中田さんの努力はもとより、数多くの協力者がいた。この事件はムービーわずか30秒の資料しかなかったが、昭和38年、当時の肉声を残す録音盤を所有者からNHKに寄贈を受けた。しかしその録音盤は10年以上もの間、NHKの資料室で眠っていた。当時教養番組班にいた中田さんの目に偶然止まり、NHKの音声一筋30余年のベテラン金光正一氏と音声情報処理の権威、小川康男教授のグループに音声復元を依頼。快く引き受けられ、小川教授指導のもと、研究室をあげての協力を得た。音声復元の過程はひどい雑音に悩まされた。しかし小川教授グループの可能な限りの知恵と最新の技術を駆使して、それを復元することができた。「この録音盤の肉声によって事件の断片が見えてきたんです」と中田さん。その後NHK特集「戒厳司令・交信ヲ傍受セヨ〜2・26事件秘録」を放送した。

さらにその9年後の「2・26事件消された真実〜陸軍軍法会議秘録」へつながっていく。それは澤地久枝さんの協力なくしてはなし得なかった。
暗黒裁判と呼ばれた2・26事件の裁判。“絶対非公開”の態度を崩さず亡くなられた、当時首席検事官匂坂春平氏の自宅を訪ね、「匂坂資料」の公開を求めたが、御子息の哲郎さんに峻拒(しゅんきょ)された。しかしあきらめなかった。何度も何度も足を運び、資料が公開される意義の大切さを説明し続けるうちに匂坂哲郎氏はついに心を開かれた。10年越しの執念であった。

被告人の調書や捜査報告書など630点を澤地さんとともに解読、2・26事件の真相に迫った。
「一緒に仕事をしてみて、この人程『あきらめる』ことを知らない人はいないと幾度と思ったかしれない。私がもしクラスメイトなら必ず“スッポンの整ちゃん”とあだなを付けたに違いない」と澤地さんはよせ書きされている。
「人は、誰でも自分を育ててくれた故郷の自然や風土の中にあります。テレビの番組づくりの中で、いかに自分の原体験が役にたったか。自分の可能性を伸ばせるか否か、それはまずは自分の責任だと思います。そのためには、何ごとも日々の努力の積み重ねしかないと思います。何の才能もない田舎育ちの自分が、なんとか今日まで仕事をやってこられたのも、自分なりのささやかな努力と、いつのまにか、自分の仕事と人生を支えてくれる多くの人々の力が集まってきたからだと思っています。小さい頃は、自分の将来は予測もつかない。しかし大きくなるにつれ、自分なりの夢を抱き、人生の目標に向かって、正々堂々と自分を育てていく。そのためには、努力の積み重ねが必要だと思います」とスッポンの整ちゃんは、笑顔で玉名の子どもたちにエールを送られた。
(平成14年11月1日号広報たまな)


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