ヒロモト森一さん
漫画家への道
〜読み手と書き手の思い〜
「スターウォーズ・ジェダイの復讐」(ジョージ・ルーカス原作)の単行本のイラストを担当したヒロモト森一さん(本名:森井浩さん)。昭和41年1月生まれ。幼い頃から絵を描くことが好きだったヒロモトさんは現在、プロの漫画家として活躍されている。ヒロモトさんの作品は、漫画家なら誰もが目指す、「ちばてつや賞」や「講談社賞」など数々の賞を受賞された。東京都文京区の高円寺にスタジオを構えるヒロモトさん。新宿から西に伸びる電車で約10分のところに位置し、高層ビル街から少し離れた閑静な場所。その沿線の中野、高円寺、吉祥寺、三鷹の地区は漫画家が多く住む街である。そのためアニメーション製作会社も多い。「となりのトトロ」などを製作するスタジオジブリの美術館もその沿線の三鷹にある。ここに住むのは漫画家としてのステータスですかと聞くと「それもあるかもしれないけど単に便利でもあるし、漫画家の友だちがたくさんいるからいろいろと情報交換もできるし」とヒロモトさん。
大学では油絵科を専攻。その頃から自分が描いた漫画を出版社に投稿していた。4年生の頃に投稿した作品で、「講談社賞」を受賞。絵を本格的に描き始めたのは高校生の頃からだった。玉名高校美術部に所属していたヒロモトさんは、スターウォーズが好きで、よく描いていたそうだ。まさかその時、スターウォーズの単行本を描くとは本人も思っていなかった。
最初から漫画家ではなく、大学卒業後は、ゲーム関連の会社「コナミ」に就職。仕事をしながらでも漫画は描けるだろうと思っていたが、会社の社則は“バイトや懸賞は禁止”となっていた。しかし漫画家になる思いを捨てきれず、芸名を使って投稿していた。時間が立つにつれ漫画を投稿していることが会社にばれそうに…。そこでヒロモトさんは、思いきって漫画を描き続けたいと上司に相談。上司はヒロモトさんの作品、漫画に対する情熱をかって「分かった。頑張って描き続けなさい」とありがたい答えだった。ヒロモトさんはこれまで以上に漫画を描き続けた。
当時、ゲームソフトのキャラクター製作を担当していたヒロモトさんだったが、製作グループの意見や玩具の担当者の意見を取り入れながらの作業は自分が本来やりたい仕事ではなかった。
ヒロモトさんはついに平成4年、プロの漫画家を目指すことになる。
大半の漫画家はアシスタントなどの経験をして一人前の漫画家になるのが多い。しかしヒロモトさんはその道を選ばなかった。なぜならば才能がある人がアシスタントで終わるケースが増えているからだ。好きな道は遠回りせず直接ぶつかっていきたかったからだった。
最初の連載は講談社出版の「モーニング」や「アフタヌーン」。編集担当者との信頼関係も徐々に深まり、仕事が増えていった。スターウォーズの大仕事が舞い込んできたのも編集者との信頼関係だった。「スターウォーズが大好きだと前々から編集担当者に話していたからね。その仕事の話しがあったのはそのせいだよ」と謙そんされるが、その製作はヒロモトさん以外にはできなかったと関係者は語る。現在の夢は、2005年に公開されるスターウォーズ「エピソード3」を描くこと。
「楽しい場面を読んでいる時の読み手の顔が浮かんでくる。だから描く時も同じ。悲しい場面を描いている時は、涙が出てくることもあります」。
子どもの頃、絵画コンクールや写生大会などで賞をとったことはなかったものの絵を描くことが大好きだった。それは家族の影響が大きかった。
(平成15年1月1日号広報たまな)
スランプからの脱出
〜ハングリー精神をモットーに〜
プロの漫画家として東京都高円寺にスタジオを構え活躍される、ヒロモト森一さん(本名:森井浩さん)。漫画家なら誰もが目指す「ちばてつや賞」や「講談社賞」など数々の賞を受賞されている。絵を描くことが大好きだった少年時代。しかし、絵画コンクールや写生大会などで賞をとったことはなかった。ただ絵が好きで当時の人気キャラクターを書いていたというヒロモトさん。
「森井君は、小学校時代から当時人気のあったロボットアニメをそのままではなく、オリジナルで書いていたのがとても印象的です。現在、親としてわが子を育てるとき、自分の子どもは何かにおいて一流になるようなことはありえないと子どもの可能性を否定している気がします。彼のことを考えると子どもたちには無限の可能性があること、子どもの個性や長所が見えていないことに気づき反省させられます。」と玉名町小、玉名中学校時代の同級生、安田信孝さんは写真を見せながら少年時代を懐かしそうに話される。
絵の才能があると気付き、絵の楽しさを教えてくれたのは、趣味で水墨画などを書いていた祖母や両親だった。その才能を伸ばしてやろうと絵画教室にも通わせてくれた。
「浩は、親戚の子どもたちによく漫画を描いて送ってくれ、子どもたちにも大人気です。浩の亡くなった祖母(静野さん)も、まさか漫画家になるとは思いもしなかった。漫画家になることに反対でなかったが、ここまで成長するとはびっくりしたと話していました」とおじの吉永邦雄さんは語られる。
小学校時代は剣道、中学校時代は陸上部に所属。「剣道やマラソンをやっていたことでとても集中力が付いたと思います。こうして漫画を描いていると、20時間くらい椅子に座っていることも度々ですからね。運動は得意な方ではなかったのですが、本当に運動をやっていてよかったなと思います。」
一昨年(平成13年)の7月、待望の子どもが誕生。名前は剣の達人「宮本武蔵」から「武蔵」と命名した。
ヒロモトさんの漫画家人生は、必ずしもスムーズにいったわけではなかった。平成6年、原因不明のスランプ。それから約4年間、漫画が描けなかったという。もちろん収入もない。当時は貯金を切り崩し、生活費にあてた。
「あの時は、頭の整理がつかず、何がなんだかわかりませんでした」。その頃からヒロモトさんにはハングリー精神が身につき、現在も仕事をする上でのモットーとされているそうだ。
どんなときにアイディアがうかぶのですかと尋ねると、「朝や寝る前に精神を集中させています。他にも音楽を聴いたり、映画を見たりして気分をリラックスさせると自然とアイディアが浮かんできます」と話される。
たまに玉名の方にも帰省されるという。少年時代遊んだ場所などに行き、気分をリラックスさせている。今の自分のおおもとは玉名と話されるヒロモトさんに、玉名への思いや玉名の子どもたちへのメッセージをいただいた。
(平成15年2月1日号広報たまな)
どこにいても原点は故郷
〜迷惑かけた分人にやさしく〜
漫画家を目指すものなら誰しも手にしたい「ちばてつや賞」や「講談社賞」など数々の賞を受賞されている、玉名市出身の漫画家ヒロモト森一さん(本名:森井浩さん)
そもそも絵の才能があったものの、漫画家になる思いを実現できたのは、絵を誉めてくれ、それを信じ、認めてくれた家族と後押ししてくれた妻・美樹さんがいたからだった。
「妻にはいろいろと後押ししてもらい、とても感謝しています。息子の武蔵もきっと漫画家の父親を喜んでくれると思います」と照れくさそうに話される。
「子どもは何ごとにも可能性を持っています。それを素直に大人が誉め、もっと子どもの可能性を信じて伸ばしてほしいと思います。もちろんそれが、何かを選択する時の後押しになりますから」とヒロモトさんは自分の体験からも感慨深げに語られる。
「子どもも『こうしたい。こうなりたい』と口にしたほうがいい。口に出して言えばやらざるを得なくなる。あまりくどく言っていたら、煙たがれるかもしれないけどね(笑)。でも好きなことは続けてほしい。もちろん結果がすべてではないけど」。
“今ある自分のおおもとは玉名”
「ずっとそこにいると気がつかないこともあります。親と同じで、ずっと一緒にいると有り難みが分からないから。住民票はないものの戸籍や魂はそこにある。どこにいても原点は故郷(玉名)にあります。今の自分があるのも、故郷の美しい山や川、海のお陰だと思います」。
絵の才能と編集担当者との信頼関係を見事に築き、プロの漫画家として仕事に励むヒロモトさん。「人に迷惑をかけないようにしていても、かけるのが人。だから人にやさしくしなければならない。その中で人間関係を築き、勉強することが大切」と話される。
「スターウォーズ・ジェダイの復讐」(ジョージ・ルーカス原作)の単行本(全2巻)のコミカライズ(漫画化)を担当されたヒロモトさん。現在は、集英社発行の月刊「ウルトラジャンプ」の連載に力を注がれる。
ヒロモトさんの作品の特徴はなんといっても独特の細い描線。しかしまた、荒々しくかつ重厚感を持った迫力のある画風も定評がある。
これからもヒロモトさんの独特の画風には注目が集まりそうだ。
(平成15年3月1日号広報たまな)
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