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普天王 水さん

更新日:2009年3月6日

前編

大相撲の魅力

日本の国技で数百年の歴史を持つ大相撲。俵を埋めて作られた直径4メートル55センチの土俵の中、仕切り線をはさみ、お互いににらみ合い一瞬の呼吸で、廻しを締めた体重100キロをゆうに超える巨体の力士がぶつかりあう。相手を土俵の外に出すか、倒すか、地面にひざから上がついた場合で勝負が決まる。もしくは反則を行った場合、負けとなる。
大相撲の魅力は、一瞬の立会い、豪快な投げ、多彩な技の掛け合い、厳正なルールにのっとり勝敗が一瞬の内に決まり、礼儀作法を重んじている格闘技である。

また、大相撲は番付が一枚違うと待遇などの面で雲泥の差がつく厳しい世界。幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序の口とそれぞれ階級がある。幕内の中にも、横綱・大関・関脇・小結、前頭1枚目・2枚目…、とそれぞれに格付けがある。
平成18年九月場所東前頭7枚目、天水町出身の普天王は9勝6敗。来場所の九州場所(11月12日〜11月26日)ではどこまで番付を上がるか楽しみである。今後も玉名市の皆さんの応援を糧に三役入り、更には大関・横綱と昇りつめて欲しい。

相撲との出会い

昭和55年8月28日天水町内田家に体重約3,800グラム、待望の男の赤ちゃんが生まれる。天水に生まれたので、4歳年上の姉を天(ひづる)。その子を水(いづみ)と名づけられた。
水少年は幼稚園時代から体が大きくおじいちゃん子で、大相撲が始まると一緒にテレビの前に座りながら、一生懸命応援していた。

天水町は相撲が盛んで小学校に土俵があった。小学校に入ったとき上学年の人が20〜30人いたので遊び感覚ではじめ、小学1年の時、蓮華院で開催された相撲大会の1年〜4年の部で3位になったのが病みつきになり、本格的に相撲を練習するため河内にある中村道場へ通うようになる。
小学1年の後半時、すでに体重が46キロあった水少年は、小学校4年生の時に全国わんぱく横綱。小学校5年生の時は全日本小学生相撲優勝大会で優勝する。

天水中学校に相撲部や土俵がなかったので、中学校は隣町の河内中学校へ進学。もちろん相撲部に入部。2年の頃から練習相手は高校生と行なうようになり、一足先に高校の相撲部に通っていた。3年の時にキャプテンになると色々大変だと思い、ジャンケン決めでキャプテンを押し付ける茶目っ気も発揮する。
文徳高校に入学、自宅から電車通学。朝練をしていたので朝6時には家を出て、帰りは9時過ぎ帰宅。という相撲漬けの毎日だった。1年からレギュラー。2年のとき金沢大会優勝。徳島インターハイ団体優勝。個人タイトルも5個獲得。

大学は、かねてより元日本相撲連盟専務理事で元日本大学相撲部監督の故竹下喜八郎氏(鎮西高校出身)に請われて学生出身力士を多数輩出している日本大学に入学。大学でアマチュア横綱(2年時)を含め14個のタイトルを獲得。小中高校、大学と輝かしい活躍と実績を引下げて、中村道場の中村さんと先代の師匠が親しかったという、名門出羽海部屋に入門。

相撲断念の危機

順風満帆の滑り出しのように見えるが、少年時代、いつも相撲の練習は、授業が終わって夕方から、腕白で食べ盛りの水少年にとっては、腹が減って減って仕方がない。相撲の練習をしないで家に帰るならすぐご飯が食べられると考えた水少年は、父に相撲を辞めることを告げる。しかし、父の一言「相撲ばやむなら、そぎゃん飯も食わんでよかろ。飯ん量ば半分に減らすけんね」。と相撲と飯を天秤にかけた。飯を食べたいがために相撲を辞める、辞めたら飯が半分になる。練習はきついが相撲を続けていっぱい飯を食ったが得だと考えた水少年。結局相撲を続けることに。

日曜日も朝から練習をしていた。朝8時からアニメ「ビックリマン」を見たくて見たくて、「ビックリマン」を見てから練習に行こうかと思っていた水少年。ある日、友達が遅れてきて「ビックリマンを見ていた」と言い訳をして殴られていた。それを見ていた水少年、我慢してまじめに練習に来てホッとした。
スイミング・習字などの習い事もやっていた、そういうのより相撲が好きだった。
また、伯母の家が近くにあり、夕食時その伯母の家でご飯を食べ、その後自宅に帰りちゃっかりと自宅の夕食にもありついていた。食欲旺盛でちょっぴり腕白でちょっぴりまじめな少年時代だった。

(平成18年11月1日号広報たまな)

 

後編

ちょんまげで大相撲

小学校時代から高校1年のときまで1年に10キロずつ体重が増え続け、現在体重152キロ。身長182センチ。「中学・高校、大学は団体競技。プロ(大相撲)は個人競技。自分は団体戦で力を出すタイプ。」と言う普天王だが、平成15年一月場所、幕下15枚目格の幕下付出で初土俵。6勝1敗の好成績で優勝決定戦に出場、惜しくも敗れるが、史上最速タイの2場所で十両に昇進し、四股名を本名の内田から普天王に改める。「普天王」の四股名は、世の中すべてのことを意味する「普天」と「牛頭天王」にちなんで、父隆信さんが名づけた。十両に上がっても実力を遺憾なく発揮し、1年で新入幕を果たす。出世が速くて頭髪の伸びが追い付かず入幕後4場所は大銀杏が結えず、ちょんまげで相撲をとった。

平成17年五月場所では東前頭10枚目で11勝(4敗)して、初の三賞(敢闘賞)を受賞。翌七月場所でも西前頭3枚目で10勝5敗の成績を挙げ、技能賞受賞。学生相撲出身力士としては33人目の三役小結となった。

怪我との戦い

新小結で迎えた平成17年九月場所では初日に横綱・朝青龍に完勝し、翌日の垣添戦にも勝って2連勝といい滑り出しで期待されたが、3日目からのまさかの8連敗で、5勝10敗と大きく負け越し。翌十一月場所は東前頭2枚目で初日に大関・魁皇に寄り切りで敗れ土俵に転落した際、右足を痛め2日目から途中休場。7日目の大関・千代大海戦から再出場するが、8日目の横綱・朝青龍戦まで全敗でその日に負け越しが決まる。翌9日目の安美錦戦でようやく初日を出してその後2勝を挙げたが、3勝8敗4休という成績に終わった。

「高校3年のときから怪我をするようになって怪我とうまく付き合わなくてはいけない。」と言う普天王は、その言葉どおり復活を狙った平成18年一月場所では、怪我を克服し9勝6敗と見事勝ち越し復活を遂げた。

ブログ力士

ある日、相撲とは関係のない若者たちと酒を飲む機会があって、相撲を見るきっかけ作りが大切だと言うことになった。じゃあ何があるのかという中に、ブログがあった。お相撲さんがブログをやれば面白い。ブログをやることで相撲を見てくれるきっかけになればと思い、平成17年2月からインターネットでブログを公開。場所中は取り組みの反省を盛り込んだ内容で毎日更新している。今では、ブログ力士の第一人者として有名になった。

「相撲を広めよう、そういう思いはあったがそれを行動に移す事も知らなかったし、分からなかった。手段も分からなかった。人とのつながりの中でそういうのができた。みんなやれることはいっぱいあるが、きっかけがない。もう一歩踏み込めない。自分はその機会を与えられた。」と普天王。

しかし、「連敗中の更新は辛い。誰が見ているかわからないので書けないこともある。たとえば怪我していたから負けたとか・・」ちょっぴり本音も交えて話す普天王の顔に力士と言うより、どこにでもいるようなパソコン好きの青年の印象を垣間見ることができた。

相撲道と玉名の子どもたちへ

ある日の出羽海部屋。早朝から部屋の土俵の周りに若い力士たちが集まり、四股を踏み、テッポウをする。若い力士同士が土俵にあがり申し合いが始まる。「バッシ・ドスン・ウォ・もう一丁」と頭や体がぶつかる音、気合の掛け声が飛び交う。回数を重ねるごとに汗と土俵の土まみれになる。少しでも気が緩むと「動作を機敏に」「気が入ってない」と親方連から声が飛ぶ。若い力士同士の稽古がひと段落すると、部屋頭(部屋で番付が一番上の者)の普天王も「そらそら、どうした」と若い力士に胸を貸し、稽古をつける。起き上がるのがやっとの力士も、稽古が終わると力水を持っていき、胸を貸してもらった力士に御礼をする。

荒れた土俵は、ほうきできれいに清掃され、いよいよ十両、幕内力士の稽古である。一段と緊張感が高まり、普天王の顔つきも本番さながらの厳しい表情に変った、十両の出羽鳳と3番稽古(同じ相手と納得いくまで何番も相撲を取ること)を行い、差し手あらそいをし、押し出し、投げなど本場所を思わせる稽古である。
相撲の稽古は、一番一番礼に始まり礼で終わる。最後はみんなで土俵の周りを囲み、四股を踏んでソンキョをして稽古が終わる。最後の締めをするのも部屋頭の普天王である。

出羽海親方(元関脇・鷲羽山)は「左四つ頼りだったのが、右手が使えるようになり、攻撃的になった。潜在能力は高かったが、試行錯誤して花開いてきた」とまな弟子の成長を認め、「もっと上がある。(大関、横綱)夢へ向かって努力してほしい。外国人に対抗できる相撲を目指せ」と一段の奮起を求め、普天王も「相手が分かっていても攻められないような、前へ出る立ち合いをして攻め続けたい」とまだまだ上への出世をにらんでいる。
普天王から玉名の子どもたちに、「テレビを通してでも自分が頑張っている姿を見て、頑張るきっかけ作りにしてほしい。感動させれるような相撲をいっぱいとって、番付を上げて頑張っている姿を見てほしい。俺も頑張るから君たちも頑張れ。」と力強いエールを贈ってくれた。

(平成18年12月1日号広報たまな)


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