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前田智徳さん

更新日:2014年3月17日

背番号「1」の大打者

玉名市出身で、平成25年に引退した元プロ野球選手・前田智徳氏。背番号「1」の孤高の大打者として広島東洋カープ一筋で活躍しました。
日本のプロ野球界に大きな影響を与え、すばらしい成績を残した前田智徳氏をご紹介します。

カープ引退

2013(平成25)年10月3日、前田智徳氏は、カープ一筋のプロ野球人生に幕を閉じました。
鍋小学校、岱明中学校から本格的に野球を始め、熊本工業高校へ進み、春1回、夏2回、甲子園に出場しました。
1989(平成元)年に広島東洋カープにドラフト4位で入団。24年間、ケガと戦いながらも、不屈の精神で野球に情熱をささげました。
2007(平成19)年9月には、プロ野球史上36人目となる通算2千本安打を達成。12月にはその功績をたたえ、玉名市から第一号として市民栄誉賞が贈られました。

前田智徳誕生

1971(昭和46)年6月玉名郡岱明町(現玉名市)で父・秀則(ひでのり)さんと母・美智子(みちこ)さんとの間に誕生しました。
名前の「智徳(とものり)」は、祖父・徳彦(のりひこ)さんと美智子さんの名前から命名されました。 

鍋小学校時代はソフトボールとマラソン

地元の鍋小学校に入学した前田少年は、当時の身近なスポーツの代表だったソフトボールとマラソンに初めて出会います。夏場のソフトボールでは1年生から地元のチームに入部。3、4年生の時にはすでにレギュラーとして活躍。冬場のマラソンでは、近所の子ども会などで指導されていた嶋村徹さん(66)=岱明町扇崎=から習いました。
当時の様子を前田氏は「よく嶋村おっちゃんが同級生数人を岱明中央公園グラウンドに連れて行ってくれました。走ることが好きだったので苦ではなかったです。あの時のトレーニングが今になって体づくりの基礎となりました」「4年生までマラソン大会はいつも1番。しかし、5年生の時に13位となり、悔しくて…。そこで一生懸命練習し、6年生には再び1番に。この頃から練習すれば、結果がついてくるものだとわかりました」と語りました。

岱明中野球部に入部

「友達に誘われて岱明中の野球部に入部しました。特別に野球がしたいからといって当時入部したわけではなかったんですよ。でも、いざ野球を始めると楽しかったですね。ただ、野球部での先輩や監督、コーチの厳しい指導に、時には練習が嫌で家に帰ったこともあります」
「2年生の時には、野球部を辞めようとしたこともありましたが、両親ががっかりする姿を思うとどうしても辞められんと思いました。気持ちが揺れ動いていた時期でしたね」と振り返りました。
当時の監督だった岩谷末徳さん(68)=岱明町三崎=は「彼の打球は70mの野球グラウンドを軽々と越え、さらに田んぼを越え、竹やぶの中まで打ち込まれるんです」と話します。

陸上にも挑む

「中体連が終わって、3年生の夏、陸上に挑戦しました。陸上部で専門にしている選手と比較すると恥ずかしかったですよ」 「県大会の走幅跳の決勝ではファールになり優勝できなかった時は悔しかったですね」
しかし、身体能力の高さがうかがえる記録が残っています。現在の岱明中の体育館には「陸上競技歴代最高記録」が掲示してあります。そこには、1986(昭和61)年に前田少年が残した走幅跳で6メートル34センチ、ボール投げで78メートル22センチが記録され、今もこの記録を更新する生徒は現れていません。
その後、熊本工業高校の野球部に入部し、甲子園に3度出場。そして、プロ野球の道に進みます。

ふるさと玉名の思い出

「小学生の頃、いつも自転車に乗って、行末川や新川漁港(岱明町下沖洲)に満潮の3時間前から友達と竿を持って出かけていました。釣ったハゼやセイゴをお袋が煮付けや天ぷらにしてくれました」 
「中学の冬は小岱山の蓮華院奥之院まで走り込みをしてましたね。あの曲がりくねった坂がきつかった。また、岱明中央公園グラウンドの管理人の宮崎數男さん(91)=岱明町高道=には、いつも声をかけてもらい楽しい思い出がいっぱいです。よくノックや試合の審判をしてもらいました。今でも声を掛けてもらってます。本当に人との出会いは大切ですね。もちろん悪い出会いもありますが、でも玉名は、いい出会いばっかりなんです。出会いにより小さい頃からトレーニングができたことで長いプロ野球人生を送ることができました。感謝しています」
 「帰省した時は、家族で玉名温泉に入ります。温泉もすばらしいですね」
前田智徳インタビューの写真です


 

玉名市民栄誉賞を受けて

2007(平成19)年12月7日、プロ入り通算二千本安打を達成した功績に市民栄誉賞が贈られました。
「名誉なことで大変うれしかったですね。同じ熊本工業高校の出身の先輩方がいるなかで自分が受賞できたことは、大変恐縮に思いました。授与式には、岱明中野球部の後輩もたくさん来てくれて、かなり緊張していましたね」 
「実は、その日は、お袋の父(徳彦さん)が亡くなった日なんです。厳格な祖父でした。市民栄誉賞の受賞日は忘れることができません。祖父も喜んでくれたと思います」

子どもたちにメッセージを

熊本工時代、藤崎台球場での公式戦で代打で出場し初安打を放ちます。カープ入団後、1990(平成2)年6月にプロ初スタメン初打席で初安打・初打点を記録。1991年(平成3)年4月の開幕戦で初回先頭打者でプロ初本塁打を打ちます。2005(平成17)年7月の甲子園でのオールスターゲームでは3安打2打点の活躍で見事MVPを獲得。厳しい重圧の中で、ここぞという時の勝負強さを発揮します。
「スポーツも勉強もそうですが、本番で緊張するのはあたりまえ。練習のなかで自分ができる限界まで追い詰めて、努力することが大切です。リラックスして練習してしまうと試合の緊張感に負けて、実力が発揮できなくなります。自分で自分にプレッシャーをかけながら練習をやってほしいですね」 
スポーツや勉強に頑張る子どもたちに力強いエールを送りました。勝負師ではなく、3児の父親として笑顔で語ってくれました。

両親からの思い出

「小学校では親子ソフトボールで汗を流し、中学校ではトスバッティングでボールを投げました。熊本工では練習の見学に」と秀則さん(74)。
「野球の練習がいやで落ち込んでいる時に声をかけ励ましたりしました。プロに入って苦労して悩んでいる時も、お父さんでなく私に相談するとですよ」と美智子さん(68)。
「引退は、寂しくもあり、悲しくもありますが、少しほっとしました。2度の大けがを乗り越えて続けてくれて-。今後はゆっくりしてほしいですね」と夫婦でねぎらいの言葉を贈りました。

前田智徳氏のプロフィール

まえだ とものり
昭和46年6月14日、玉名市岱明町生まれ。42歳。岱明中学校、熊本工業高校へ進み甲子園に出場。平成元年広島カープに入団。
平成19年玉名市民栄誉賞受賞。平成25年10月3日引退。
24年間のプロ通算成績は2188試合の出場で2119安打、295本塁打、1112打点、打率3割2厘。
プロ野球での主な表彰はベストナイン4回(平成4〜6、10年)、ゴールデングラブ4回(平成3〜6年)、オールスターMVP1回(平成17年)

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平成26年3月1日号広報たまな表紙画像です


 



ふるさと玉名市の今vol6 表紙画像です


 


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