世代を超えて金栗さんのひ孫が感謝
100年後、曽祖父と同じコースを疾走!
日本のマラソンの父、金栗四三さんは、100年前の1912年、五輪(ストックホルム大会)に日本人として初めて参加し、マラソン競技に出場。しかし、猛暑と疲労のため途中でコースを外れて完走を果たせませんでした。
その金栗さんを介抱したのがストックホルムのペトレ家で、その後、この一家と長い交流が続いたのです。
55年後の1967年、スウェーデンから五輪55周年記念行事への招待を受けた金栗さん。
スタジアムを55年ぶりに訪れた金栗さんは、ストックホルム五輪委員会の粋な計らいでスタジアムを数十メートル走り、タイム54年8カ月6日5時間32分20秒3で念願のゴールを果たすことができました。
そして平成24年(2012)、7月14日、ストックホルムでは、100年前と同じコースを走る五輪百年記念マラソン大会と、金栗さんの功績をたたえた顕彰銘板の除幕式を計画。熊本県からは2人がスウェーデンからの招待を受けました。
金栗さんのひ孫にあたる蔵土義明さん(当時25)=熊本市=がマラソンに参加し、高嵜玉名市長は式典に参加、蔵土さんを応援しました。
この夢のような話は、日本とスウェーデンの間で、たくさんの人たちの尽力によって実現しました。高嵜市長は「スウェーデン人の人柄、そして日本人である金栗氏の人柄が、今回のマラソンと顕彰銘板の除幕式へと実を結んだと感じました。今回招待され光栄です。ペトレ家には玉名市民の後輩として感謝を申し上げます」と、この大会の成功を喜び挨拶しています。
ペトレ家訪問
マラソン大会前日の7月13日、郊外に住むペトレ家のひ孫に当たるタチアナ・ペトレさん(当時38)宅を、蔵土さんが訪れました。タチアナさんは、100年前に疲弊した金栗さんに振る舞ったとされるシナモンロールとラズベリージュースを用意されており、蔵土さんら訪問客に振る舞われました。
蔵土さんは「こんなに優しい方々に助けられた曽祖父の気持ちが、今わかった気がします。ここに来ることができなかった曽祖父の娘である祖母の分まで感謝の気持ちを伝えたいと思います。また、マラソンを完走することで、お世話になったペトレ家、スウェーデン、そして日本の方々に感謝の意を示せるよう、がんばって明日のマラソンを完走したいと思います」と、感謝を伝え、にこやかな表情でペトレ一家と過ごしました。
100年記念マラソン
7月14日、午後1時48分にストックホルムにあるオリンピックスタジアムから号砲が鳴り響き、約1万人の参加者が100年前と同じ時間でスタートし、ほぼ同じコースの40・1キロを走り抜けました。蔵土さんは曽祖父である金栗さんがつけた番号と同じ「822番」のゼッケンと日の丸を胸にスタート。
一方、100年前に金栗さんが介抱された、ペトレ家が建っていた場所では、同日午後1時30分に顕彰銘板の除幕式が行われました。現在は開発が進み、ソレンチューナ市立体育館が建設されており、階段脇に設置された銘板は、日本語とスウェーデン語の2つ。除幕された瞬間、大きな歓声が上がりました。
蔵土さんは、午後3時5分、式典会場がある往路15キロ地点(金栗さんが倒れたのは折り返し後の復路25キロ地点で同じ場所)に到着。100年前の衣装に身を包んだタチアナさんは、蔵土さんを道ばたのテントに招き入れ当時と同じもてなしをしました。
「おいしかったです。ありがとうございます」と蔵土さんは勢いよく残りの道を走り出しました。
マラソンコースは、高低差が40メートルと起伏のあるコース。蔵土さんは30キロ地点くらいから足がつりそうになり、走ったり歩いたりを繰り返しましたが、「誰でもフルマラソンは走れる、少しずつ距離を伸ばしていけばいい」と自分に言い聞かせ、スタジアムへ到着。大歓声の中、4時間25分1秒でゴールをしました。
式典会場には、在スウェーデン日本国大使館によるブースがあり、折り紙の金栗さんでマラソンを応援。
大会後「今回のイベントは、ペトレ家やスウェーデンの方はもちろん、国会議員の玉置先生や作家の佐山先生、高嵜市長、そして現地大使館の方々のバックアップがあって参加させていただきました。とても感謝をしています。また、走っている途中多くの方から『日本がんばれ』と声をかけていただき、スウェーデンの方の温かさ、曽祖父の偉大さを感じました」と蔵土さんは語られました。
熊本へ戻り、空港を出た蔵土さんは「当時、ペトレ家へお礼の手紙を書き、事あるごとに手紙を書いた曽祖父の気持ちが、この旅を通してよくわかりました。いつかまた、スウェーデンの地を走りたいです。」と感慨深く思いにふけられていました。
ペトレ一家が金栗さんのお墓参り
そして平成25年(2013)2月には、ペトレ一家の4人が東京を訪れました。タチアナさんの弟ヨハンさんが、「東京マラソン2013」に参加。その応援に、家族で駆けつけました。
2月25日、玉名市を訪れたペトレ一家の4人は、金栗さんの墓前で手を合わせました。今回訪れたのは、金栗さんを助けたユージーン・ペトレさん(故人)の孫のジオさん、ひ孫のタチアナさんとヨハンさん、タチアナさんの次女のミカエラさんです。
4人はお墓参りの後、歴史博物館こころピアを訪れ、金栗さんの写真や遺品を見学しました。
金栗四三から始まった交流は、いまだなお、続いています。
玉名が生んだ「日本マラソンの父」金栗四三さんの足跡
誕生からマラソンとの出会い、オリンピック出場、55年目のゴールなど、マラソン普及と体育振興に尽力したそのマラソン人生を、写真を交え紹介しています。
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