横島潟担い節
玉名市横島町には、現在も伝えられている民謡に、「横島潟担い節」というものがあります。
※下記写真は「玉名かるた」でかたろう!フォトコンテスト入賞作品(新しいウィンドウが開きます)(サイト内リンク)から掲載しています。
潟担いとは
「潟担い(がたいない)」とは、干拓工事の築堤の際に潟土を堤防の上に積み上げてゆく作業(堤防近くの土砂を特殊なカゴ(通称ブリ)に入れ、それを担いで運ぶ作業のこと)であり、土木機械が一般化する昭和初期ごろまでは人力で行われていました。
「潟担い節」は、この作業の中で、作業者相互の息をあわせるために唄われた仕事唄、作業唄を起源として始まったとされており、九州各地に伝えられています。明治期以降に各地で踊りが振り付けられ、三味線や太鼓の鳴物入りで広まりました。
潟とは
潟担いの潟(がた)とは、元々干潟の意味でした。それが何時しか干潟の土を言うようになりました。さらに今では、干潟の土ばかりでなく、横島町の住民は水田の土なども潟とよんでいます。
横島町に伝わる潟担い節について
江戸時代から明治
横島町に伝わる潟担い節の起源は、加藤清正による新地造成工事にさかのぼるといわれています。その後、江戸時代から明治時代へと、干拓工事において盛んに唄われ、受け継がれてきました。元唄がどんなものであったのか記録が残っていません。歌詞は時代と共に変遷してきたと考えられています。
昭和から現代
横島潟担い節に関しては、昭和42年6月18日付熊本日日新聞に関連する記事があります。横島干拓潮止め完了式の際に、昔から伝わる潟担い節に振り付けされた踊りが初めて披露された、とあります。工事の完成を記念し、新たに作詞されました。資料「横島潟担節」(横島町文化財保存顕彰会作成)(PDF 約993KB)
その後一時期は途絶えていましたが、平成に入り「横島潟担い節保存会」(新しいウィンドウが開きます)(サイト内リンク)が結成され、地域の諸行事で披露されるなど、伝統芸能として保存・継承され、後継者育成にも努められています。
旧玉名干拓施設
近年玉名市では、堤防や樋門など干拓関連施設の文化財としての認識が急速に高まり、保存・活用に向けての調査を行いました。
そして、玉名市大浜町・玉名市横島町に所在する、明治時代に建造された干拓関連施設が、「旧玉名干拓施設」として平成22年6月29日に国の重要文化財に指定されました。
私たちの先祖は、果敢に海に挑んで干拓地を開き、幾度の潮害にも屈することなく堤防を補強し、農地を守り通して来ました。そのようにして築かれてきた一連の干拓施設は、先祖から受け継がれた大地と共に文化財として子孫に受け継いで行かなければなりません。
関連リンク
…菊池川流域4市町(玉名市・山鹿市・菊池市・和水町)と熊本県では、「二千年にわたる米作り」をテーマに、認定を目指して申請し、平成29年度日本遺産のとして認定されました。
…明治時代に建造された干拓関連施設が、「旧玉名干拓施設」として平成22年6月29日に国の重要文化財に指定されました。
…玉名市横島町の歴史をまとめた資料 「横島町史」と「横島郷土誌副読本」の販売を公民館などで行っています。
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