企画展 「望楠軒主 西依成斎」
西依成斎は玉名が生んだ最高の儒学者であり教育者です。元禄15年、石貫の富尾村に生まれ、8歳で肥後実学の祖である大塚退野の門に入ります。18歳で高橋町の前原丈軒の門に入り、認められて養子となりますが、21歳の時に京都に遊学して若林強斎の門に入ります。
上記「成斎の郷里の画像」の説明
- ア:石貫
- イ:宮尾(西依家)
- ウ:高瀬
- エ:玉名(大塚退野塾)
- オ:前原(前原家)
- カ:高橋(前原丈軒塾)
- キ:熊本
- ク:江田(森省斎)
※地図上の場所に関する情報について、詳細なご案内が必要な際はこころピア(電話番号:0968-74-3989)までお問い合わせください。
西依成斎(三代 望楠軒主、五代 望楠軒主)は前原丈軒、大塚退野、若林強斎(初代 望楠軒主)に師事しました。
門下には尾藤二洲、古賀精里、西依墨山(四代 望楠軒主、初代順造館教授)がいます。
西依墨山の門下には西依孝鐸(六代 望楠軒主)、西依孝禎がおり、西依孝鐸の門下には西依孝博(七代 望楠軒主)がいます。
また若林強斎は浅見絅斎(主著「靖献遺言」)に師事し、浅見絅斎は山崎閤斎(垂加神道を提唱)に師事しました。
若林強斎の門下には西依成斎の他に山口春水、小野鶴山(二代 望楠軒主)がおり、小野鶴山の門下には梅田雲浜(八代 望楠軒主)がいます。
強斎は京都の生まれで浅見絅斎に師事、その高弟となりました。浅見絅斎没後、その学統を継ぎ、絅斎から学び取った朱子学をさらに綿密かつ平易に講説してきましたが、やがて垂加神道の立場を強め、学舎を望楠軒と呼ぶようになります。
上記「若狭、京摂における成斎、墨山の足跡の画像若狭、京摂における成斎、墨山の足跡の画像」の説明
- ケ:望楠軒
- コ:今津大観楼
- サ:小浜藩学問所順造館
- シ:�々盖椰声�(彦根市高宮)
�◆嵜皺知郤辧彝� - ス:若林強斎墓所(大津市小関五本桜)
- セ:西依成斎墓所(清閑寺)
- ソ:西依墨山墓所(西福寺)
強斎死後は娘婿の小野鶴山が講主となりましたが、鶴山が小浜侯に招かれたあとは成斎が望楠軒の講主となりました。宝暦3年養子墨山に講主を譲り隠居していましたが、墨山が小浜侯に招かれたため再び望楠軒の講主を務めました。
成斎はまた、多くの書蹟を残しており、その作品は、豪放磊落、老いてなお若々しさを残し、見る人を惹きつけて止まないものがあります。
展示期間
平成10年1月27日(火曜日)〜平成10年3月8日(日曜日)
図録
平成10年1月27日発行 A4版 白黒16頁 販売価格400円
購入方法については刊行物のご案内をご覧ください。
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