菊池川流域日本遺産の紹介 第8回 菊池川流の水運と港町
米作り、二千年にわたる大地の記憶 〜菊池川流域「今昔『水稲』物語」〜
菊池川流域(玉名市・菊池市・山鹿市・和水町)は、2,000年前から現代に至るまでの米作りに関する有形文化財、祭りや食文化、文化的景観が残されている稀有な場所であるとして、平成29年4月に日本遺産の認定を受けました。
日本遺産とは、文化庁が平成27年度から開始した事業です。文化財保護法等による文化財保護制度とは異なり、指定文化財・未指定文化財の枠を超えた「我が国の文化伝統を語るストーリー」として観光などに活用し、地域活性化につなげていくことが目的です。
第8回 菊池川の水運と港町
菊池川では古くから舟による交通が盛んで、人や物を運ぶ交通の大動脈として利用されてきました。
室町時代ごろに菊池氏が菊池川流域全体を勢力下に治めると、河口港である高瀬・伊倉を利用して海外との交流が始まり、中国大陸や朝鮮半島との貿易の拠点となりました。また、戦国時代になり大分の大友氏の支配下になるとキリスト教の宣教師も行き来し、活発な交流活動が行われました。
江戸時代になると、年貢米や物資の運搬をするために流域全体で舟着場の整備が進められます。現在の菊池市七城町の高島(たかじま)舟着場・山鹿市豊前街道下町の舟着場・和水町の菰田(こもだ)船継所などがあり、流域の村はこれらの舟着場から菊池川を下って高瀬御蔵へ年貢米を納めました。年貢米は高瀬御蔵で厳重に検査・保管された後に米市場がある大坂堂島へ運ばれます。各藩の年貢米は堂島の米市場に集められ、そこで取引をして換金し、それが藩の収入になりました。文化年間(1804年から1811年)の堂島への積出し量は熊本藩全体で約40万俵。そのうち高瀬20万俵・川尻15万俵・八代5万俵と、高瀬で取り扱う年貢米の量が藩内最大でした。高瀬御蔵で取り扱う年貢米が最も多いことから、その年貢米の品質と量が熊本藩の収入に影響を及ぼします。そのため高瀬御蔵では厳しく検査し、品質を保つ努力をしました。高品質で収穫量も安定していた熊本藩の米は、大坂の米市場で全国の中でもトップクラスの評価を受け、高値で取引されました。
(上記写真:高瀬船着場跡の通称 俵ころがし)
高瀬から約4キロメートル下流、菊池川の河口付近に位置する晒は、江戸時代前期には番所や改小屋が置かれ通行の管理を行う重要な港でした。しかし、江戸時代後期になると菊池川の川床が浅くなり海辺の村から高瀬まで川を遡ることが困難になり、加えて高瀬御蔵での取り扱い量が増えたことから、晒にも年貢米の検査場が設けられました。以降、高瀬御蔵の支所としての機能を順次整備し、米の積出港としての役割も担っていきます。
(上記写真:滑石にある晒船着場跡の通称 俵ころがし)
晒の対岸にある大浜は、江戸時代以降 船運業が盛んで大坂屋や長崎屋と号する廻船問屋が繁栄しました。大坂への米運搬に従事する以外にも、年貢米以外の「納屋物」と呼ばれる農産物(米・麦・菜種・大豆・小豆など)を取り扱いました。取引地域は大坂をはじめ、備中玉嶋・備前下津井・鞆浦などでした。帰りは繰綿(くりわた・種を取っただけの精製していない綿のこと)や鯨油(げいゆ)を積んで戻ってきました。防火機能に優れた漆喰壁の土蔵造りの建物が多く建てられ、それらの一部は現在も残っており当時の町並みを偲ぶことができます。
(上記写真:漆喰塗の建物が残る大浜の町並み)
大浜外嶋住吉神社・滑石の晒神社・繁根木八幡宮には商売繁盛と航海安全を祈って、廻船模型や燈篭・狛犬などが奉納されています。燈篭や狛犬には、備中玉嶋(岡山県)・摂州(大阪府)・下関(山口県)など西日本各地の廻船問屋関係者の名が刻まれており、交流の広さを示しています。前述3社の石造狛犬は玉名市重要有形文化財に指定されています。
(上記写真:繁根木八幡宮に奉納された石造狛犬)
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