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姫 由美子さん

更新日:2009年1月1日

宝塚歌劇団への道

〜父の厳しい一言は愛情の裏返し〜

“東の東大、西の宝塚”と言われるほど宝塚歌劇団への入団は厳しい。その宝塚歌劇団で歌姫として活躍されていた姫(本名=野崎、現在は北岡)由美子さんは、昭和16年、立願寺生まれ。幼い頃から歌が好きで、小学校から高校まで合唱部に所属していた。
「由美ちゃんは、小さな頃から歌がとっても上手でした。私たちは菊池川や蛇ヶ谷公園に遊びに行くのが好きで、そこに行ってはよくお話をしていました。その頃から由美ちゃんは、絶対歌手になるっていつも言っていましたよ。でも宝塚に行く時は本当にびっくりしました。さみしい気持ちもありましたが、頑張れという気持ちでいっぱいでした」と玉名町小、玉名中学校、尚絅高校まで同級生で、同じ合唱部員だった三宮悳子(さんのみやのりこ)さんは当時の写真を見せながら、懐かしそうに話された。
そんな姫さんの人生を左右する転機は、高校の修学旅行で訪れた。
「東京で見たSKDのショーを見た感動は今でも忘れられません」。そこで見たSKD(松竹歌劇団)への憧れは日に日に増し、当時の尚絅高校合唱部の顧問、池田むつ子先生に相談。しかし池田先生は「SKDもいいけど、もっと素晴らしい所があるの。それは宝塚歌劇団よ」。そう助言をしてもらったが、姫さんは宝塚歌劇団がどこにあるのか、存在自体も知らなかった。SKDへの憧れは、東京への憧れでもあった。しかし恩師の助言を無視することはできず、宝塚のことを調べた。その内に宝塚の魅力を知り、願書を取り寄せ、受験することになった。当時高校2年生。もちろん高校を中退しなければならない。「私は宝塚に行って歌を歌いたい」と家族に話すと、当然のことながら、猛烈な反対にあった。
しかし、宝塚への受験を許してくれた(?)のは、父親だった。
“まあいいじゃないか、どうせ合格するはずもないんだから”と言った父の一言は、悔しくもあったが許してくれたといううれしさもあった。
受験日の数日前に宝塚へ出発。夜行列車のとなりには父がいた。
「宝塚の受験の同行は、だいたい母親が多くて、父親が受験について来たのは当時の受験生では私だけだったのよ。受験に行くと宿舎を用意してあるけど男子禁制。だから父はわざわざ別に宿をとったのよ(笑)」。
3次までの試験は、数日間に分けて行われ、合格発表も1日毎。1次試験が終わり父が言った言葉を今でも忘れない。
“ここ(宝塚)をよく見ておけ。どうせ落ちるんだから”
その言葉を聞いてそうかと思い、竜宮城のような宝塚を見て歩き、結果を見に行った。
もちろん父は、結果を見には行かなかった。
“野崎由美子”
自分の名前が張り出されていることに驚きと喜びを隠しきれなかった。その後、2次、3次も無事合格。しかし2次試験で恥ずかしい出来事が…。
「2次試験は、バレエの服で受けなければならないのに、私は、バレエの服を持っていなくて水着で受けたの。それも水玉模様の。とっても恥ずかしかったわ。宝塚の同窓会があると、父が同行してきたことと水着で受けたことを今でも冷やかされるのよ」と笑って話される。
そんな笑顔が素敵な姫さんの話しも、今になってみれば笑い話。しかし当時の苦労は図り知れない。
宝塚の厳しさ、父との別れ…。
(平成14年5月1日号広報たまな)

父に聞かせたかった

〜感謝の気持ち 歌を通して〜

昭和35年、宝塚歌劇団の入団が決まり、予科、本科の2年間の宝塚音楽学校生活がスタート。タカラジェンヌへの一歩を踏み出したが、早速、地方出身者の試練が待っていた。それは“言葉”のなまり。授業ではとにかく言葉のなまりをなくそうと、関東、関西、四国、九州などのブロックに分かれ、同じセリフを話し、直していくというレッスンが始まった。それは言葉で表現できない程とても厳しいレッスンだったと姫さんは話される。
学校だからもちろん春休みも夏休みもある。その休みを利用して帰省する姫さんに先生は「熊本に帰るなとは言わないが、帰っても絶対に熊本弁は話すな」と
“熊本弁禁止令”を発令。
「私も帰省してすぐは、熊本弁を話さないように心掛けていたけど、友だちと会うとダメね。すぐに熊本弁が出てしまうの。熊本弁の方が楽でヨカモンネ(笑)」と標準語っぽい熊本弁で話される。
2年目の本科に上がると、努力の甲斐あって、熊本弁のなまりも克服。演劇や歌のレッスンにも熱が入り、秋になると「全日本学生音楽コンクール全国大会」への猛レッスンが始まった。その選曲は、これまで姫さんをやさしく支えてきてくれたお父さんへの感謝の曲「愛しの父」に決定。お父さんへ、感謝の気持ちを歌を通して伝えようと、レッスンに励んだ。
レッスンも終盤を迎えた、コンクールの1カ月前、姫さんのもとに、悪い知らせが入った。お父さんの入院。容態を心配し、取るものも取りあえず帰省。お父さんの入院先へ向かった。病室に入るやいなや「お父さん、私、全国音楽コンクールでお父さんにプレゼントする歌を歌うの“愛しの父”っていう歌なのよ。だから絶対コンクール見に来てね」と姫さんはお父さんに訴えた。
「それはいいね。頑張れよ」とお父さんは小さなウサギの人形をプレゼント。
しかし姫さんの思いもむなしく、コンクールを待たずしてお父さんはこの世を去られた。
葬儀に出席した時、姫さんはとてもコンクールに出る気にはならなかったという。しかしそのまま「愛しの父」を歌うことを決意。小さなウサギの人形を胸にして…。
その歌で、全国コンクール声楽部門第一位となった。
「当時はとってもつらかったわ。だってその曲は父に聞かせるために練習してきたんだから」と姫さんの目が潤んだ。
昭和36年、宝塚音楽学校を卒業し、晴れて宝塚歌劇団初舞台。宝塚ステージの華やかな“大階段”で歌う姫由美子さんの姿は多くの観客を魅了した。
9年間の宝塚時代を終え、昭和45年、ファンに惜しまれながらも引退。その後も音楽活動は続けられ、翌年渡英。日本歌曲を歌う。しかしこの後、姫さんがガン闘病生活になるとは誰も想像していなかった。
(平成14年6月1日号広報たまな)

夢を持ち続けること

〜タカラジェンヌの今〜

宝塚ステージの華やかな“大階段”で歌う姫由美子さんの姿は多くの観客を魅了した。初舞台から9年間の宝塚歌劇団の生活を終え、昭和45年、ファンに惜しまれながらも引退。その後も音楽活動を続ける姫さんは、日本の歌を外国の人たちにも聞いてもらおうと翌年に渡英。異国の地ながらも順風満帆の歌手生活だった。しかし突然、悲劇が襲った。“ガンとの闘い”。
渡英先で手術を決行した。「ガンを発病した時、発病したことはもちろんですが、一番つらかったことは、弟が悩んでいることでした。弟は私にガンを発病したことを隠そうとして苦しんでいました。その姿を今でも忘れません」と当時を振り返る。
帰国後もガンとの闘いが続いた。その頃は「なるようにしかならない」と半分あきらめていたという。
しかし、その後3回の手術を行い、奇跡的にガンを克服。歌手としての再出発に本人も驚いた。死の淵からの生還を遂げた姫さんは「ガンを克服し、生かされている私に課せられたことは、歌を通してガンと闘っている人々に勇気を与えること。そう確信しました。私を必要とする所にはどこにでも行きたい」と現在は、ホスピスのためのチャリティーショーを全国に展開。音楽によってガン闘病生活に苦しむ人々に夢を与え続けている。
“好きな言葉は「夢」“
「夢を持ち続けるといつかは実現できる。実現できなくてもそれに近づける日は必ずやってくると思います。私の愛する故郷玉名の子どもたちも先生やお友達を大事にしながら夢を持ち続け、決してあきらめないで頑張ってほしいです」と玉名の子どもたちを激励された。
姫さんの歌を初めて認めてくれ、これまで夢を持ち続けさせてくれたのも小学校時代の担任の先生と友人たちだった。
「由美ちゃんの声は高音でとてもきれいで、一人だけ目立っていたから合唱向きではなかった。だから小さな声で歌いなさいと言っていました。もちろんそれはとてもかわいそうなので、全校集会などの時、みんなの前で、独唱をさせていたのよ。もちろん他の子どもたちは感動していたわ」。小学校時代の恩師、村田悦子さん(立願寺在住)は語る。
このことが姫さんの歌へ対する自信にもつながり、後に宝塚歌劇団という大舞台に立つことができたと姫さんは話される。
“夢を追いかけ、実現させる”
これからも姫さんの夢への挑戦は続く。
(平成14年7月1日号広報たまな)


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