大野伊勢守紀光隆の墓
更新日:2021年2月27日
大野伊勢守紀光隆の墓(おおのいせのかみきのみつたかのはか)
【種別】玉名市指定重要有形文化財(建造物)
【指定年月日】平成20年11月17日
【所在地】玉名市岱明町上1038
【所有者】睦合上区
【内容・特徴】
大野伊勢守紀光隆の墓は、大野氏の菩提寺であった大悟山平等寺(廃寺)境内の墓地内にあります。本体は凝灰岩製の五輪塔で、火・風・空の三輪に梵字が刻まれています。また、別の五輪塔の地輪を追補して全体を高めているため、一見して変形五輪塔のように見えます。本体の地輪正面に「文中二年(1373年)八月二十三日伊勢守光隆行年三十九」と銘があります。
伊勢守紀光隆の先祖は、繁根木八幡宮を勧請し、その別当を務めた紀隆村といわれています。延慶元年(1308年)に生まれた光隆はその後大野伊勢守と名乗り、開田(ひらきだ)の日嶽城主、次いで上村城主となりました。正平14年(延文4、1359年)7月、征西将軍懐良親王を奉じた菊池武光が少貮頼尚を討伐する折、光隆はこれに従い武勲を挙げました。しかし、その20数年後、今川了俊の玉名侵攻により形勢は悪化し、日嶽城、高道城、上村城はともに落城しました。
この墓は、地域の有力者であった大野伊勢守紀光隆の存在を知ることができる歴史的価値の高いものであり、中世五輪塔の典型となるものです。
【地図】
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