明人林均吾墓
明人林均吾墓(みんじんりんきんごぼ)
【種別】史跡
【面積】3,189平方メートル
【指定年月日】平成22年4月21日
【所在地】玉名市天水町部田見字城ノ平1171番地1
【所有者】個人
【内容・特徴】
林均吾墓は、玉名市天水町部田見字城ノ平の北へと延びる尾根筋の先端に所在します。北側は、入江状の狭い谷間をなっており、隣接する谷間には「唐人口」、付近には「蔵谷」や「船子崎」の地名があります。
慶長9〜12年(1604〜1607)の間に5回渡海朱印状を得た人物に「林三官」がおり、現在のマカオやフィリピン、ベトナムなどへ朱印船を出しています。林均吾は、この林三官に関係する一族と考えられます。
林均吾墓は、均吾の子「新作」が元和7年(1621)に建立したものです。林均吾墓は墓碑の周辺及び一部石材が埋没しており不明な部分があるものの、その形状は中国福建省南部の様式と共通性をもつ「肥後四位官郭公墓」と類似しています。北に面する斜面を利用して地面を凹字状に掘りくぼめ、中央に上辺が湾曲する長方形の墓碑が立てられ、上部に埋葬者の出身地を表す「龍郡」と彫り、さらに「元和七年 林均吾墓 男新作立」との銘文を陰刻します。
この林均吾墓は、肥後四位官郭公墓や振倉謝公墳といった近隣の唐人墓と共に、当地の近世初頭における国際的、経済上の役割と位置を明示すると共に、日本在留明人の活躍を示す学術上極めて貴重な文化財です。
【地図】
参考事項
林均吾墓周辺には、伊倉に肥後四位郭公墓と振倉謝公墳が残っています。
明人林均吾墓は、菊池川流域日本遺産の構成文化財です。
菊池川流域日本遺産ホームページ:https://www.kikuchigawa.jp/
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