安世寺墓塔群
更新日:2021年1月29日
員数:2基
所在地:玉名市石貫2391
この地には、寛正2年(1461年)藤原為安が菊池の臨済宗正観寺第十五世笑耘和尚を招いて開山された臨済宗の「大園山安世寺」という寺院がありました。笑耘の没後には、同じ正観寺第二十五世東龍輔和尚が第二世を継ぎました。寺院跡には地蔵を本尊に祀る堂一宇、住職歴代の墓地と位碑が残っています。墓地には多くの墓塔があり、その中の5基に年号が彫られています。中でも一世(卵塔)、二世(五輪塔)は、保存状態がよく安世寺の歴史を知る上で貴重なものです。
寺院跡内の墓石群の中には五輪塔の地輪の一面に「高瀬殿」、「永正六年己巳(1509年)閏八月十七日」と刻まれており、その反対側には「徳隠喜公 永正六年己巳(1509年)八月十七日」と刻んであり、安世寺の歴史と高瀬氏の動向を知る上で貴重な資料であり、市の歴史の知る上で学術上価値のあるものです。
参考事項
安世寺を建立した藤原為安は、南朝の忠臣として知られた菊池武時九代の孫で、持朝の二男、高瀬保田木城主高瀬武楯の兄兼朝の子です。寛正6年(1465年)4月20日筑後高良山において34歳で戦死し、その墓が柳野の民家庭先にあり、「寛正第六乙酉肥前守進疇禅門藤原為安五月念二十五日」とある。
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