企画展 「玉名の俳諧」
江戸時代中期、松尾芭蕉が出て、俳諧が庶民の間に大いに愛好されるようになります。玉名でも美濃派の俳諧が郷士層を中心に庶民の間にひろまり、いくつもの芭蕉の句碑が建立され、庶民は自作の句を載せた俳額を神社に奉納しました。
江戸時代の末期、大浜町には、翠江亭葦明が出ます。文台(宗匠のシンボル)保持者であった彼は、文政9年(西暦1826年)大浜上町の天満宮に「疑ふなうしほの華も浦の春」という芭蕉の句碑を建て、玉名ににおける芭蕉塚建立に先鞭を付けています。
玉名俳諧の後期を代表する俳人が龍如坊です。彼は美濃で学び、「文台」を背負って帰国した後、高瀬の名刹宝成就寺に入り、高瀬連を再興し、嘉永元年芭蕉の『今日ばかり人もとしよれ初しぐれ』という句を刻んだ「時雨塚」を建立しています。
玉名市小浜の天満宮の前に、ちいさな池があります。その池の中の島に句碑が建てられ、『ひと声の江に横たふや時鳥』と刻まれています。嘉永5年(西暦1852年、アメリカのペリー提督来航の前年)当地の人、自松仙千鳧が建立したものです。
『あかあかと日は難面も秋の風』玉名駅と国道208号線の中間、妙性寺にこの碑が立っています。俳諧同好の人々は「文台」を中心に「連」を構成し、玉名にも高瀬連・大浜連・荒尾連等いくつもありました。
明治7年に、玉名市下にある高城の新宮に奉納された俳額です。墨があせてはっきりと読み取れませんが、評者や、願主2名の名、および作者の名は比較的に残っています。なかに、山部田・千田・坂脇・永徳寺・井尻・平野等の地名を付してあるのが注目されます。
これは、玉名市月田の事比羅宮に天保2年(西暦1831年)と天保8年に奉納された俳額です。墨がよく残っており、孤峯・柳風のように号をもつ作者名とともに、内田・日平・白石・坂下・江田・高瀬・木葉等地元の地名のほか、遠く山鹿・廣等の地名も見えます。
展示期間
平成9年6月24日(火曜日)〜平成9年8月24日(日曜日)
図録
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