企画展 「子どものための農具展2 -養蚕・畑作-」
前回の稲作の道具に続き姿を消しつつある畑作と養蚕の道具を展示。子どもたち向けに使用法を紹介しました。
養蚕
養蚕というのは、カイコという蛾の幼虫を飼育して、幼虫が作る繭(マユ)の糸をとる仕事のことを言います。この糸から絹の織物が作られます。(カイコ写真、マユ写真)
春から秋までに3回から4回飼うことができ、農家の貴重な収入源でしたので、座敷などの家の一番いい部屋で、温度や湿度に注意しながら大事に飼われました。(ストーブ)
タネと言われる卵は、専門の業者から購入しました。卵からかえったばかりのカイコは黒い毛で覆われていますので、毛蚕(ケゴ)と呼ばれます。始めは3ミリほどの大きさで、桑(クワ)の葉を食べて脱皮を繰り返しながら成長します。
桑の葉はいったん枝ごと切ってから葉を落としますが(写真)、桑の枝を落とさずに葉だけ摘む時は、桑爪を使いました。
バラと呼ばれる竹を網代に編んだ平たいカゴに養網を敷き、その上にカイコを乗せて蚕棚で育てられます。
えさやりの時は養網ごと給桑台に置いたグンゼバラに移して与えました。
カイコは成長しながら脱皮を4回繰り返し、色も真っ白になります。
そして、さなぎになる時期になると、マブシと呼ばれる道具に移してマユを作らせます。
回転マブシは、カイコのどんどん上に登る習性を利用して、効率的にマユを作らせるために考えられた道具です。カイコが上部に集まると、その重みで回転し玉マユができにくくなります。玉マユというのは2頭以上のカイコが一緒に作ったマユで、糸がからんで節ができるので、製糸工場に出荷することができせんでした。
マユをマブシからはずした後は、毛羽取り機できれいにケバを取り除いて製糸工場へ出荷しましたが、残ったクズマユなどを鍋で煮込んだ後、座繰り器で巻き取って糸にしました。
日本の養蚕業の最盛期は昭和4年です。その後、恐慌や戦争の影響で衰退し、その間に化学繊維にとってかわられましたが、玉名地方の養蚕業は戦後復興し、和服の需要の急増などもあって活気を取り戻しました。
玉名市の月田地区では、昭和46年に養蚕団地が作られるなど経営の効率化が図られましたが、海外との競争や国内需要の低迷から急激に衰退し、県内の養蚕農家は完全になくなってしまいました。
注 本企画展開催当時はわずかではありますが養蚕農家は残っていました。
畑作
一口に畑作といっても、大麦・小麦・粟・きび・からいもや野菜など多種多様な作物があります。また、稲作と畑作両方に使われる道具もあります。
今回はそのような畑作に使われていた色々な道具を展示しました。
展示期間
平成12年6月6日(火曜日)〜平成12年8月20日(日曜日)
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