「鬼のかま」と呼ばれた古墳「大坊古墳」
大坊古墳
赤鬼・青鬼が住んでいた!? 「鬼のかま」と呼ばれた古墳
玉名平野を治めた“王”の墓
大坊古墳は、今から千5百年ほど前(6世紀前半から中頃)に造られた古墳。菊池川右岸の玉名平野を見下ろす丘陵の先端に位置し、菊池川や玉名平野の恵みを背景にこの一帯を治めたと考えられる首長のお墓です。全長40メートル超の前方後円墳で、遺体を埋葬する石造りの部屋(横穴式石室)があります。石室は、入口側の前室と、その奥の玄室に分かれ、遺体を納めた棺(石屋形)は赤・黒・青(灰色)の顔料で描かれた「連続三角文」・「円文」で飾られています。
かつて石室の天井に穴が開いていて中に入れたため、地元の人にはその存在が昔から知られていました。窓もなく真っ暗な、石で造られた不思議な狭い空間。その中で、うすぼんやりと照らし出された赤や青の不思議な文様を見た昔の人は、赤鬼や青鬼のすみかだと思ったのでしょうか。地元では、「鬼のかま」と呼ばれていたそうです。
大正6年の京都帝国大学による調査後、全国的に広く知られるようになりました。田添夏喜氏と玉名高校考古学部による昭和38年の調査では多くの副葬品が出土し、新たな装飾文様も見つかりました。昭和52年に国指定史跡となり、貴重な装飾文様を守り活用するための保存整備が行われたことで、1,500年の時を経てなお鮮やかな色彩を今も目にすることができます。
金や水晶のアクセサリー、武器を持ち、馬に乗った人物
副葬品の金製や銀製の耳飾りをはじめ、水晶製勾玉、真珠などの装身具、馬具、大刀や鉾などの武器が出土し、玉名市の重要文化財に指定されています(一部は玉名市立歴史博物館こころピアで展示中)。
金製の耳飾り、水晶製の勾玉やメノウ・真珠・ガラスなどで作られた首飾り
この古墳の主は、当時の日本列島では作れなかった精緻な細工が施された舶来品の金の耳飾りや、大陸から伝わったばかりの馬や乗馬技術も手中に収めていた人物。しかも前方後円墳という特別な形の古墳に葬られていることから、経済力や軍事力ばかりでなく、当時の中央政権であるヤマト政権と密接な関係を結ぶ政治力をも持った有力者だったと考えられます。
前室での墓前祭祀に使われた壺
1メートル近くある鉄製の大刀。
他にも鉄剣や鉾や鉄の矢じりなど多くの武器を携えていた。
故田添夏喜(たぞえなつき)氏
玉陵中に勤務しながら大坊古墳を始め玉名校区の馬出古墳(装飾古墳)や小路古墳など破壊の危機に瀕した多くの遺跡を調査し、玉名の歴史解明に大きな役割を果たした。2018年3月17日から玉名市立歴史博物館こころピアの企画展で業績を紹介しました。
引用元:「大坊古墳」『広報たまな』平成30年3月号抜粋(PDF 約998KB)
本ページは上記記事を元に加筆・修正して作成しました。文中の人物の年齢・肩書きは平成30年3月1日現在のものです。
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