扇崎千人塚供養塔
扇崎千人塚供養塔(おうぎざきせんにんづかくようとう)
【種別】玉名市指定重要有形文化財(歴史資料)
【員数】1基
【指定年月日】平成21年3月17日
【所在地】玉名市岱明町扇崎927
【所有者】明神尾区
【内容・特徴】
寛政4年(1792年)4月に大津波が発生し、玉名郡内では2,221人が亡くなりました。同年9月、熊本藩は特に被害の大きかった玉名郡・飽田郡・宇土郡の各郡に供養塔1基を建立しました。この碑はそのうちの1基です。
凝灰岩製で、総高205センチメートル、二段重ねの台石の上に高さ150センチメートルの標石を立て玉垣で囲まれています。正面に「南無阿弥陀仏」を彫り、両側と背面の三面にかけてこの碑を建てた由来が刻まれています。
【地図】
【寛政の大津波について】
寛政4年(1792年)年始から島原では火山性地震が続いており、1月18、19日頃から島原雲仙岳の噴火が始まりました。3月1日、熊本では地震60回を数え、雲仙岳の噴煙が見られ火山灰が降りました。3月5日にも地震がありましたが、3月下旬には地震が止み、煙も収まったため人々は安心していました。その矢先の4月1日午後6時頃に雲仙岳が大噴火、眉山が海中へ崩落して大津波を引き起こしました。津波は対岸の玉名郡・飽田郡・宇土郡や天草の沿岸の村々を襲い、さらに反射した津波は島原半島一帯を襲って甚大な被害をもたらしました。津波は3回発生したといわれ、そのうち第2波が最大でその波高は約10メートルに達したとされます。この津波は「島原大変、肥後迷惑」といわれます。
この津波での死者は島原側と熊本側を合わせて15,000人。藩内の被害は死者5,520人、流失家屋2,250戸になりました。なかでも玉名郡の被害は大きく、2,221人が亡くなりました。津波の被害を受けた田畑では作物が全滅し荒地となり、塩抜きが終わるまで作物が育たず、多くの農民が収穫皆無のため年貢を納めることができず、津波の後も人々は苦しみました。
扇崎千人塚供養塔の他にも熊本県や島原半島には供養塔が残っており、この津波による悲惨な被害状況とその教訓を現在に伝えています。
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