企画展 「天神さまと梅林 -流鏑馬・くすり・人びと-」
梅林天満宮は、承平6年(936)に筑前国太宰府天満宮を、当地に勧請したものです。菅原道真公の霊を祀り、梅林山安楽寺天満宮と称しました。安楽寺がどこにあったのか、確かなことはわかりませんが、天満宮は安楽寺上村にありましたが、のちに津留に移転して梅林天満宮ともよばれ現在にいたっています。
例年11月25日の大祭には、下・安楽寺・津留の氏子によって流鏑馬が奉納されます。流鏑馬はすでに江戸時代から肥後藩の松井家、長岡家、細川家の庇護をうけて奉納されています。
松村大成は幼くして田尻寛斎、富田文山に医学、武術を学び、のちに林桜園に国風を学びました。医家をつぎながら私塾をひらきました。その塾風は医書、史書、兵法を講じる文武両道でした。
松村大成は勤王の志をとげるため、弟の永鳥三平を吉田松陰、佐久間象山などの志士と交友させ、自らも「復古論」をあらわしています。おりから大成のもとを訪れる志士も絶えませんでした。平野國臣、真木和泉、村田新八、宮部鼎蔵、河上彦斎などと持論を述べ合い勤王活動の本拠地の観がありました。しかし、大政奉還の日を待たずに病死しました。明治維新まであとわずか1年のことでした。
永鳥三平は号を帰山とも還山とも称しました。松村大成の弟ですが、熊本の永鳥加寿子と結婚して永鳥家をつぎました。若い頃から文学、剣術、槍術、兵法を学び、林桜園からは国学を学びました。勤王の志があつく、吉田松陰ら各藩の志士と交わり兄の大成と連携し尊王攘夷を唱えましたが、明治維新を待たすに病死しました。
大麻唯男は、明治22年玉名郡梅林村安楽寺(現玉名市安楽寺)にうまれました。大正13年(1924)清浦奎吾内閣で首相秘書官を務めたあと、36歳で代議士に当選し、それ以来昭和30年(1955)まで連続10回当選し、この間国務大臣を4回つとめました。郷土にも政界にも信望があり、梅林の邸宅は生前すでに寄贈、昭和29年には大麻文化会館を建てて地方文化の育成に貢献しています。
現在では玉名市下と呼んでいますが、この地域において明治、大正、昭和時代をとおして、製薬・売薬がさかんに行われていました。かつての製薬・売薬で活躍していた頃の榮寿軒、長命堂、梅霊軒という屋号にその名残を見ることができます。
薬袋や置き袋から正錦丸、白膏薬など約18種がつくられていたことがわかります。
この地域で製薬・売薬がいつ頃から始められたか、については正確にはわかりませんが「玉名郡村誌」の記述から逆算すると、江戸時代の後期からではないかと推測できます。一説には医家としてこの村で活躍した松村家4代松村寿貞が江戸時代の18世紀末にかけて「正錦丸」を創始。松村家6代松村大成が19世紀中頃に「赤玉腹調丸」を創始したといわれています。
展示期間
平成14年10月29日(火曜日)〜平成14年12月23日(月曜日・祝日)
チラシ
※過去の企画展の為、チラシに掲載の情報の内、概要・趣旨などのみ記載しております。
図録
平成14年10月29日発行 A4版白黒24頁 販売価格400円
購入方法については刊行物のご案内をご覧ください。
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