企画展 「玉名郡衙」
郡衙とは、律令時代の役所のことです。玉名郡の郡司は日置氏で、現在の疋野神社周辺に居館があったと考えられています。8世紀はじめ一斉に完成した郡衙は、9世紀末に終焉を迎えます。玉名郡衙の造営にあたっては、国司道君首名と郡司日置氏との強力な結びつきがあったものと考えられます。
完備した郡衙は庁院・館院・(郡家)の主要部と倉院・厩・公文屋などからなる付属部分で構成されます。さらに郡司の氏寺がこれに加わります。玉名郡衙の場合、発掘によって上記の諸施設がすべて確認できました。加えて郡家に至る郡衙道(朱雀大路や大湊)、それに祭祀上の磐座(金毘羅山)も明らかになりました。
郡倉は疋野神社の東側に位置していたと考えられています。南北100尺、東西180尺の長方形の柵列の中に南北2棟、東西4列の計8棟の倉庫群が造営されました。郡倉は7世紀末に始まり、8世紀中頃までは掘建棟で、8世紀後半になると礎石棟に建て替わり、9世紀末まで存続しました。郡倉は度々火事に遭っています。
JR玉名駅付近にあった大湊と日置氏の神(疋石神)と思われる金毘羅山の磐座は真北線上にのっており、この間に郡衙道(朱雀大路)は敷設されました。その間は1.6キロメートルです。郡衙道は8世紀初めに敷設されて以来、今日に至るまで使用され続けています。また、JR玉名駅近くは小字名を大湊といい、袋状の入り江になっていました。湊は南側に開口しており、東西170メートル、南北120メートル、入口幅60メートルと推定されます。大湊は8世紀末の菊池川の氾濫によって、湾内に砂礫が堆積し、湊の機能を失ました。
立願寺廃寺は白鳳時代に始まり、奈良時代までの約1世紀存在しました。第1期 金堂は地山を削って基壇を造り、掘建柱で桁行4間、梁行2間の南側に入口をもつ建物です。第2期 講堂は新たに版築して基壇を造り、桁行4間(72尺)梁行2間(36尺)総柱の掘建柱建物になります。伽藍配置は法起寺式です。第3期 講堂は2期と同じ伽藍配置で礎石建物に変わります。
立願寺廃寺から出土した瓦をみると、玉名郡衙(日置氏)が太宰府あるいは都と強いつながりがあったことがうかがえます。
展示期間
平成9年4月15日(火曜日)〜平成9年6月15日(日曜日)
図録
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