企画展 「玉名の勤王 -松村大成と志士たち-」
松村大成は、玉名郡安楽寺村出身の勤王の活動家です。幼名を方十といい、後に大成と改めました。号は空谷と称します。
松村家は代々安楽寺で医業を営む家柄であり、家政豊かで、村人の尊崇をあつめていました。大成と弟の永鳥三平は、神道に重きを置く林桜園のもとで国学を学び、次第に勤王思想を深めていきました。
「北筑日記」は、大成が家族とともに太宰府天満宮を参詣した旅日記です。一行は、大成・妻・母・妻の母・長女千勢・覚三郎・下男の甚八と九兵衛・下女の9人連れでした。嘉永二(1847)年8月19日に安楽寺の自宅を出発し、22日太宰府に到着。9月1日自宅に戻りました。「数十年来の鬱を晴らし」太宰府天満宮参詣を果したと日記は結んでいます。
尊王攘夷運動が高まりを見せていく中、文久元(1861)年大成宅に京都の勤王運動の中心人物であった公卿中山家の家臣田中河内介の手紙が届けられました。早速宮部鼎蔵と大成子息松村深蔵が京都に派遣され京都の情勢がつたえられ、肥後の勤王活動が動き始めます。
大成宅には、多くの志士が訪れました。肥後勤皇党の宮部鼎蔵・轟武兵衛・松田重助、藩外から筑前の平野国臣、京都の田中河内介、江戸の安積五郎、山形の清河八郎、薩摩の村田新八・伊牟田尚平、橋口壮助・柴山愛次郎・久留米の神官真木和泉が訪れ、大成の話に耳を傾け、策をめぐらしました。大成の志士への支援は、金銭面にまで及んだといいます。
活発だった勤王攘夷運動は、文久3年(1863)八月の政変により一変します。大成は子深蔵・大真と幽閉され、池田屋事件・禁門の変・長州征伐と情勢は厳しくなります。慶応元年8月28日永鳥三平は幽閉中に病死(42歳)。翌年大成は謹慎を解かれますが、慶応3年(1867)年1月13日新しい時代を目前に病に没しました。60歳でした。
大成の身近にも勤王を志すものがありました。大成の従兄弟である川島村の内田弥三郎秀行(清)、大浜外島住吉神社の竹志田熊雄重楯、安楽寺村の松村家家人緒方栄八です。竹志田熊雄は、文久2年(1862)薩摩の島津久光が上京すると聞き、内田弥三郎とともに京に馳せ登りました。出立ちの前夜に師である大成宅に立ち寄りこの和歌を詠みました。
この手紙は、竹志田が当時肥後親兵として上京中であった富永万喜守国に宛てたものです。去年10月より出京し、木屋町に潜伏すると書いています。熊雄は文久3年(1865)8月、京都の公卿中山忠光が大和五条に兵を挙げた天誅組の変に加わり、9月18日十津川で病没します。この手紙は決起の約1か月前のもので、竹志田熊雄の絶筆と考えられます。21歳でした。
竹志田熊雄・内田弥三郎は、明治35年1月8日従五位に叙せられました。この碑は、竹志田熊雄の従五位叙位を顕彰して、明治45年2月に建てられました。大浜外島住吉神社境内にあります。
展示期間
平成16年6月27日(日曜日)〜平成16年7月25日(日曜日)
同時開催の催し
- ふすまの中の古文書 7月10日(土)
- ぞうりをつくろう 7月25日(日
「玉名の勤王 松村大成と志士たち」のチラシ
玉名市立歴史博物館
〒8650016 熊本県玉名市岩崎117
電話番号:0968-74-3989
ホームページ:https://www.city.tamana.lg.jp
開館時間
午前9時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日
毎週月曜日および祝日の翌日
観覧料
一般300円(※210円)大学生200円(※140円) 高校生以下は無料 ※括弧内は20名以上からの団体割引
図録
平成16年6月27日発行 A4版白黒24頁 販売価格500円
購入方法については刊行物のご案内をご覧ください。
カテゴリ内 他の記事
- 2025年1月30日 開館30周年特別展「よみがえる同田貫」
- 2025年1月30日 企画展「国指定史跡熊本藩高瀬米蔵跡展」
- 2025年1月30日 企画展「第10回 たまな発掘速報展〜新発見...
- 2025年1月29日 企画展「弔う -玉名びとのお墓事情-」
- 2024年7月11日 明治初期・玉名の新しい風 高瀬藩展
- 2022年3月16日 企画展「玉名の弥生ライフ」
- 2021年5月20日 企画展「神社をめぐる人びと展」