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企画展 「玉杵名の歴史」

更新日:2005年1月1日

今から1万5千年前の有明海は、まだ今のような海でなく「大きな河」の状態でした。1万年前の海面は、現在より400メートル程低い状態でした。5千年前の縄文時代中期には、逆に現在よりも5メートル程海面が高くなり、玉名市の梅林や小田まで海水が入り込んできて、大きな湖のようでした。現在の高瀬や伊倉の低い部分が当時の海岸線にあたり、湾の形をしていました。縄文時代の貝塚の分布を見ます。そのころの海岸線のようすがわかります。

玉名湖の出現、貝塚地点の画像この地図は玉名市が国土交通省国土地理院長の承認(平2九複第427号)を得て同院発行5万分の1地形図を複製したものを一部使用したものである


舟形石棺出土古墳分布の画像この地図は玉名市が国土交通省国土地理院長の承認(平2九複第427号)を得て同院発行5万分の1地形図を複製したものを一部使用したものである


玉名湖は縄文時代中期を境に、海が後退していきますので、しだいに消滅していきます。湖の跡は湿地帯となり、その中を菊池川と繁根木川などの川が流れていたと思われます。

玉名大神宮の画像玉名郡の名称が起った地域が玉名村です。そこには玉名大神宮があります。天照大神、景行天皇、玉依姫、菊池則隆などをまつっています。


玉依姫神像 像高82.5センチメートル 江戸時代の画像玉依姫とは、霊のより代となる霊媒者の意味で、玉のような霊石を管理する巫女とされています。


木造男神坐像(桧材一本造、像高80センチメートル、平安後期)の画像男神座像は平安時代後期のもので、県内でも貴重な神像です。


日本書紀巻七の画像『日本書紀』景行天皇18年の記事では、玉名は「玉杵名邑」(タマキナムラ)とよばれていました。平安時代の『和名抄』には「多萬伊名」(タマイナ)。太宰府天満宮の『天満宮託宣記』には「玉井名」の文字があります。このことから「タマキナ」から「タマイナ」に音が変化して、最終的に今の「タマナ」になったと思われます。


玉杵名邑(中央部分)の画像「玉杵名」は「魂来名」のことで「神霊が依り来る聖地」と解され、すなわち「タマ」は霊、「キ」は来、「ナ」は地域を意味します。


玉名市玉名北東部小字図の画像元玉名(玉名市玉名)には、中世城の存在を示す地名があります。「上ノ辻」(城ノ辻)・「馬出」の小字名。 「土井ノ内」・「平城」などの下ヶ名地名です。


玉名大神宮あたりの画像玉名大神宮のあたりは、玉名郡司日置氏が七世紀後半に立願寺に群衙を築くまで、拠点としたところです。また平安時代後期には「島」あたりに舟着場があったと考えられます。ここは「高瀬殿」とともに「玉名殿」が並存してもおかしくないところです。


渋江家分家荒木家旧蔵菊池系図(部分)の画像「渋谷分家荒木旧蔵菊池系図」をみますと、菊池家14代修理亮武豊に「玉名殿」とあります。「高瀬殿」というのは、これまでの文献にみえますが、「玉名殿」は初見です。その後「合原家系図」(久留米市立草野歴史資料館蔵)にも、「武豊修理亮玉名」とあることがわかりました。


郡家模型の画像大宝律令(701年)によって地方には国郡里(郷)制がしかれ、肥後国には玉名郡以下13郡(後に14郡)がおかれました。そして玉名郡には8郷(玉名郡 日置、為太、石津、下宅、宇部、大町、大水、江田)がおかれました。玉名郡の役所を郡衙といい、玉名郡司は「日置(ヘキ・ヒキ)氏」がその任にあたりました。日置氏は最初、玉杵名に郡衙と同様の基盤を築きましたが、白村江の戦い(663年)以降、立願寺周辺に拠点を移しました。


郡衙の各施設と玉名平野条理跡(緑の部分が条理跡)の画像この地図は玉名市が国土交通省国土地理院長の承認(平2九複第427号)を得て同院発行の5万分の1地形図を複製したものを一部使用したものである


  1. 玉名郡家
  2. 玉名郡寺
  3. 玉名郡倉
  4. 疋野神社
  5. 稲荷山古墳墳頂部(立願寺瓦出土地)
  6. 蓮華遺跡(立願寺瓦出土地)
  7. 磐座(金毘羅山)
  8. 大湊
  9. 日置氏の最初の拠点

郡衙は、郡家と付属施設から構成されています。現在まで玉名郡衙関連の施設としては、七世紀末の倉と寺院(立願寺廃寺)、8世紀初頭の郡家、水駅(大湊)、郡衙道(朱雀大路)が確認されています。玉名平野の条里跡も、郡衙関連の遺跡ということができます。条里制は、田に税金を課税するために碁盤の升目のように整地したもので、年齢や性別などに応じて土地が割り当てられました。

玉杵名の装飾古墳の画像この地図は玉名市が国土交通省国土地理院長の承認(平2九複第427号)を得て同院発行の5万分の1地形図を複製したものを一部使用したものである


装飾古墳は菊池川流域の大きな特徴のひとつです。全国の装飾古墳の約3分の1をこの流域がしめています。玉杵名(玉名市玉名)には、大坊・永安寺東・永安寺西・馬出古墳の4古墳あります

大坊古墳と馬出古墳の画像大坊古墳内部(写真左)、馬出古墳(右)


永安寺東古墳正面、永安寺東古墳前室右壁、永安寺西古墳奥壁の画像永安寺東古墳正面(写真左)、永安寺東古墳前室右壁(中央)、永安寺西古墳奥壁(右)


玉杵名邑への道の画像近年の研究で延喜式官道より古い官道の存在が指摘され、その沿道に「車路」地名が残ること、官道ができるだけ直線をとることがあきらかにされました。太宰府から玉杵名につながる古代の官道は、山川町車路‐関村‐建石‐石尾・福山‐石貫を経て玉杵名邑に達します。さらに進めば石津の湊へとたどりつきます。

玉名平野にはいくつか遺跡がありますが、柳町遺跡は、弥生時代中期から平安時代初頭までの遺跡です。特に古墳時代前期には集落があったことがわかりました。出土品のなかでは、全国的にも珍しい4世紀末の木製短甲が井戸の中から出土し、棒状の留め具には「田」の文字が墨で書かれていました。

 


 

展示期間

玉杵名の歴史 1 玉名の繁栄のはじまり 平成13年3月13日(火曜日)〜平成13年5月6日(日曜日)

玉杵名の歴史 2 歴史をつくった人々 平成13年5月15日(火曜日)〜平成13年7月8日(日曜日)

 

リーフレット

図録の表紙画像A4版両面刷 12枚 無料

お求めの場合は送料着払いでお送りいたしますのでお問い合わせください。


追加情報

アクセシビリティチェック済 このページは玉名市独自の基準に基づいたアクセシビリティチェックを実施しています。
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お問い合わせ

歴史博物館こころピア
住所:〒865-0016 熊本県玉名市岩崎117
電話番号:0968-74-3989
ファックス番号:0968-74-3986この記事に関するお問い合わせ


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