木葉焼と木葉猿
更新日:2009年3月25日
木葉猿は玉名郡玉東町の木葉山山麓で作られ、その起源も古いものです。土製で手造りの猿は表現がすぐれ、おどけた顔に素朴で枯淡な味わいはまさに郷土玩具の雄として知られています。
鹿本郡菊鹿町、通称相良観音さんにある木葉焼の花立は、玉名郡木葉町焼物司境治郎左衛門と山口村の庄屋仁三郎が安永6年(1777)に寄進したもので、高さ68センチメートルもある大型の花立です。
これは木葉焼の花立の願文です。肥後細川藩の殿様の無事息災を願ったもので、大型で製作年号のあるものは非常に珍しいものです。
これは、玉名市内にある高野笹川神社の木葉焼の御神体で、製作年代は不明。おそらく江戸時代の1700年代のものであると考えられます。実に写実的な作品で、焼成の技術もすぐれ、地区の人々の厚い信仰が寄せられています。
木葉猿の窯元では、このような火消し壺、ふちの浅い素焼きの鍋いわゆるほうろく鍋、七輪などの生活用品が、明治初期から昭和初めにかけて盛んに作られました。
木葉宇都宮神社の宮司武下家に伝わる木葉猿や恵比寿の面型で、寛政11年(1799)武下と刻まれています。大正時代まで窯跡が残っていたといわれ、宮司さんも木葉焼を製作していました。
この木葉猿は型で作られたもので、「型もん」といわれます。一般に木葉猿は手捻り(てびねり)ですが、古い時代から型作りの木葉猿がつくられていました。