小代焼
更新日:2009年3月25日
寛永9年(1632)、肥後の新領主となった細川忠利とともに、豊前より移住した葛城・牝小路両家を始祖とするとされる小代焼ですが、その始まりに関わる記録は少なく、また当時の窯跡もはっきりしません。
現在までに発掘が行われた南関町の瓶焼窯・瀬上窯は、いずれも近世後期以降のもので、それらの窯の作品には「葛城」「小代」などの印のあるものも多く、古小代の年代を特定する上で大事な指標のひとつになっています。
また、荒尾市に1600年前後と推定される古窯があり、古畑窯と呼ばれています。加藤清正が関係する可能性もある貴重な史跡ですが、今のところ小代焼との繋がりを見出すことはできていません。
小代焼の諸窯は、廃藩置県により藩の庇護がなくなったことから、明治・大正に次々と廃業。最後に残った野田窯も昭和12、3年ごろ廃業したといわれています。
いったんは廃れた小代焼ですが、戦後次々と復興・開窯し、平成15年には国の伝統的工芸品に指定されています。
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