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玉名温泉

更新日:2009年7月10日

玉名温泉の由来

玉名市の中央部を流れる繁根木川の右岸、富尾、岩崎、繁根木、立願寺の一帯は、古くから温泉の湧出が知られていました。玉名温泉の始まりははっきりしませんが、万延2年(1861)、当時立願寺村の庄屋であった赤松市郎平が記した『疋野温泉由来記の草稿』の中に、「疋野長者が夢に現れて、昔自分が仕立てた温泉が埋まってしまっているので、それを再び掘るように告げ、村人と一緒に掘ってみると温泉が湧き出た。」ということが書かれています。

疋野長者は、18世紀に編纂された『肥後国誌』の中の「疋石野大明神由来」に登場する人物で、全国に伝わる、いわゆる「炭焼長者伝説」の主人公であり、炭焼長者伝説にお決まりの白鷺(水鳥)の説話などもミックスされた形で玉名温泉の由来として現在伝えられてきています。

玉名温泉の開発

『疋野温泉由来記の草稿』の疋野長者の夢のお告げは別として、赤松市郎平による温泉開発は現実の話で、嘉永6年(1853)には当時の玉名郡代杉浦津直の命によりさらに掘り進められ、藩営の温泉として湯小屋を建て、入湯料を徴収するようになりました。この温泉は、「疋野温泉」と呼ばれ(後に「古湯」と呼ばれる。)、江戸時代に建てられた「匹野温泉乃碑」と共に、現在もまだ残っています。

立願寺温泉

明治に入り、疋野温泉に加えて錦温泉(坂本温泉、後の紅葉館)が開かれました。錦温泉は大浜の坂本平次により、近代的な温泉旅館を開業すべく掘削されました。大正時代になると、各館は温泉掘削の技術革新を取り入れ、新しい泉源を競って探すようになります。大正10年ごろには、疋野温泉(古湯)を含め5箇所となりました。この頃には「立願寺温泉」という呼び名が定着していたようです。

「立願寺温泉」から「玉名温泉」へ

昭和30年代の玉栄館の画像明治から昭和初期までの立願寺温泉は、閑静な避暑地といった性格のものでしたが、次第に歓楽温泉街へと変わってゆきました。検番がつくられ、最盛期には40人もの芸妓が登録していました。戦後、三井炭鉱の石炭ブームにのり、温泉街は施設改善に努め、観光客の誘致に取り組み、新興温泉地として声価を高めました。昭和34年には快速列車「くまがわ号」の玉名駅停車を機に、名称を「玉名温泉」と改めます。また、翌年には熊本国体も開催され、玉名温泉は飛躍的な発展を遂げました。


昭和30年代の弥生館の画像現在の玉名温泉の情報は「玉名市観光情報・お湯どころ」をご覧ください。


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