玉名の製薬と売薬
更新日:2009年3月12日
かつて、梅林下村(現在の玉名市下)では製薬・売薬が盛んに行われていました。下村は、幕末の勤皇志士で医師でもある松村大成の生まれた地であります。現在、梅林下では昭和48年に池田栄寿軒の池田八十吉氏が亡くなって以来、製薬業は行われていません。また、梅林下村において、いつごろから製薬・売薬が始められたか、それに関する資料は見つかっていません。しかし、『肥後国玉名郡村誌』から推すると、明治11年にはすでに生業として興隆していたと考えることができます。同じく郡村誌には玉名郡内での製薬業、売薬業、薬種が具体的にあげられており、梅林下村では「薬種十九、製薬二」、高瀬町は「売薬十六、薬種九」と、2か町村のみとなっています。高瀬町には16戸もの売薬業がありながら、製薬はまったく行われておらず、梅林と製薬の関係は今後の研究課題といえます。
売薬・製薬については、平成14年度企画展「天神さまと梅林 流鏑馬・くすり・人びと」で、一部取り上げています。