金栗四三さん
金栗四三(かなくり しそう) 1891〜1983
日本マラソンの父。玉名郡春富村(現玉名郡和水町)生まれ、玉名市上小田出身。東京高等師範学校卒業。
1912(明治45)年、第5回オリンピック(スウェーデン・ストックホルム大会)に日本人初のオリンピック選手として出場する。その後、第7回アントワープ大会、第8回パリ大会と出場。現役引退後は、日本陸上競技連盟顧問や日本マラソン連盟会長としてマラソン選手の強化指導に尽力し、箱根駅伝を発案するなど日本マラソン界の父として仰がれる。
主な表彰
- 1955(昭和30)年 紫綬褒章受章
- 1962(昭和37)年 旧玉名市名誉市民
- 1964(昭和39)年 勲四等旭日小綬章受章
- 1983(昭和58)年 従五位銀杯下賜
2015(平成27)年 玉名市名誉市民
2019年NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公に決定
金栗さんが、NHKの2019年NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の主人公に選ばれました。
「オリンピックに初参加した男」として、歌舞伎俳優の中村勘九郎さんが金栗四三役を演じます。
2020年の東京五輪の前年に、日本が初参加した1912年のストックホルム五輪から1964年の東京五輪までの、激動の52年間が描かれます。
玉名が生んだ「日本マラソンの父」金栗四三さんの足跡
誕生からマラソンとの出会い、オリンピック出場、55年目のゴールなど、マラソン普及と体育振興に尽力したそのマラソン人生を、写真を交え紹介しています。
- 玉名の有名人 マラソンの父 金栗四三さん
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- 玉名の有名人「マラソンの父 金栗四三さん」
- 金栗四三さん大河ドラマ記念リーフレット(PDF 約2MB)
- 「ふるさと玉名市の今」vol.5(PDF 約8MB)
- マラソンの父・金栗四三 -25万キロの人生-(歴史博物館こころピア)
- マラソンの父金栗四三リーフレットの紹介(歴史博物館こころピア)
金栗さんの名字「金栗」は「かなくり」「かなぐり」、名前の「四三」は「しぞう」「しそう」と読み方が複数あり、書籍や新聞記事などで異なる表記がされています。これまで玉名市では「かなくり しぞう」と読むことで統一してきました。
これは、金栗さん本人が昭和37年(1962)に書いた英文の手紙に「Shizo Kanakuri」と署名していること、昭和39年オリンピック東京大会組織委員会発行の身分証明書での「KANAKURI SHIZO」、昭和42年(1967)外務省発行のパスポートでの「SHIZO IKEBE」というアルファベット表記によるものです。
しかし、金栗さん本人が「SHISO」と署名しているものや、「しぞうでなく、しそうと読むのです」と記者に答えた新聞記事(1976年6月1日付け)もあります。
そこで、玉名市、和水町、南関町や玉名市・和水町・南関町大河ドラマ「いだてん」地域振興協議会で再確認を行い、さらに金栗さんの親族とも話し合った結果、「しそう」との読みに統一することを発表しました(平成30年1月29日玉名市月例記者会見)。今後、金栗四三さんの名前の読み方は「かなくり しそう」として表記します。