明人林均吾墓
更新日:2015年2月12日
明人林均吾墓(みんじんりんきんごぼ)
- 所在地 玉名市天水町部田見1171-1
- 員数 1基
- 指定年月日 平成22年4月21日
- 所有者 個人
慶長9〜12年(1604〜1607年)の間に5回渡海朱印状を得た人物に「林三官」がおり、西洋(マカオ)・呂宋(フィリピン)・占城(ベトナム)などへ朱印船を出し、広範に交易をしていました。「三官」の地名は伊倉西方の北牟田にあり、また熊本市河内町の船津にも「三官屋敷」という地名があったといい、同一族は河内・伊倉・高瀬地域を本拠に活動していたと推測されています。林均吾はこの林三官に関係する一族と考えられています。
林均吾墓は、肥後四位官郭公墓や振倉謝公墳(しんそうしゃこうふん) (サイト内リンク)といった近隣の唐人墓と共に、当地の近世初期における国際的、経済上の役割と位置を明示しており、日本在留明人の活躍を示す学術上極めて貴重な文化財です。
当墓は、墓碑の周辺および手前側の石材が埋没しており、不明な部分があるものの、その形状は中国風であり福建省南部の様式と共通性を有する肥後四位官郭公墓と類似しています。北に面する斜面を利用して地面を凹字状に掘りくぼめ、中央に上辺が湾曲する長方形の墓碑が立てられ、上部に出身地を示す「龍郡」と彫り、「元和七年 林均吾墓 男新作立」との銘文が陰刻されています。墓域は東西7メートル、南北7メートルの規模を測ります。
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