企画展 西南之役120年 「戦場そして基地高瀬」
高瀬の戦いとして総称される現玉名市内での戦闘は、西南の役の転換点となった重要な戦いでした。この戦い以後、薩軍は北進することなく吉次峠(玉東町)田原坂(植木町)で大決戦に望むことになるのです。 戦闘の中心が田原坂方面に移ってからは、高瀬には軍団病院・大本営・仮県庁が置かれ、兵站基地となります。2月27日、北上する薩軍に米を略奪されることを恐れた官軍は、高瀬御蔵に火を放ちます。 この結果、高瀬御蔵と周辺の永徳寺村が焼失します。また、同日高瀬町の3分の1も焼失します。1番大隊1番小隊長として西南之役に参加した西郷隆盛の末弟西郷小兵衛は、永徳寺で敵弾を左胸に受け負傷、民家(橋本家)の雨戸に乗せて西郷隆盛の本営に運ばれる途中絶命しました。当時31歳。「身幹長大、状貌秀偉、挙止沈着、言語寡黙」(佐々友房評)といわれます。
小兵衛に雨戸を貸した民家(橋本家)には、小兵衛夫人松子氏の書簡6通が残っています。この礼状は、昭和10年に小兵衛の石碑が建立されたことに対する礼状です。橋本家は、長年にわたり小兵衛の墓所管理を行っていました。
西南之役による熊本県内での官軍戦死者は数千名にものぼり、県内に21カ所、玉名市内では高瀬町字北屋敷に官軍墓地が設置されました。現在高瀬官軍墓地は発掘・改装を経て公園となっています。高瀬官軍墓地の埋葬者は、田原坂・吉次の戦いで負傷し、高瀬町の軍団病院(町内の10カ寺程度)に収容された後死亡した人が大半で、全395人(内警視隊墓地18人)に上ります。
展示期間
平成9年2月25日(火曜日)〜平成9年4月6日(日曜日)
図録
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西南戦争関係の企画展
- 「西南之役120年 戦場そして基地高瀬」 平成9年2月25日〜平成9年4月6日
- 「錦絵にみる西南戦争」 平成19年1月14日〜平成19年3月25日
- 「錦絵でみる西南の役 -高瀬・田原坂・熊本城-」 平成27年2月21日〜平成27年5月10日
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