企画展 「錦絵にみる西南戦争」
明治10年の西南戦争から130年目の節目に当たり、錦絵にあらわされた西南戦争の場面を、物語風に展示した企画展です。
西南戦争は維新改革の最大の余震で、各新聞社は福地源一郎・犬養毅などの特派員を派遣して戦況を全国に伝えました。
それに合わせて西南戦争に関連する錦絵が数多く発刊され、新聞社は江戸時代からの伝統を受け継いだ浮世絵師と結びつき、事件・風俗を解説文と絵で全国に伝達しました。
今で言えば錦絵はさしずめ写真週刊誌に通じるメディアで、大衆に人気がありましたが、現代のように記者・カメラマンが現地に飛んでそのままの状況を撮影取材したものではなく、絵師の想像と思い込みで描かれたものも多くあります。それゆえに、この戦争での新政府や西郷隆盛に対するさまざまな思いが透けて見えます。
色鮮やかな芸術としての錦絵とメディアとしての錦絵にふれていただくとともに、西南戦争が果たした役割を考えてもらいました。
繁根木の臼杵正路邸に移された総督本営
繁根木の臼杵正路邸に移された総督本営の様子です。征討総督の有栖川熾人親王を中心に、野津少将や三好少将などの高級将校がひかえ、外には兵隊たちが待機しています。
絵の中に高瀬川とあるのは菊池川、亀田村は亀甲、羽根木丁は繁根木町のこと。沖に帆掛け船が幾艘も見えるのは有明海と思われます。
総督はこの庭の榎木が鳳凰鳥に似ていることに因み、この本営を鳳樹楼と名付け親しまれました。その後、4月11日、本営は熊本に移されています。
鹿児島記聞内西郷小兵衛討死図
小兵衛は西郷隆盛の末弟。長男が隆盛で、次男吉次郎、三男従道、四男小兵衛と続きます。
薩軍の1番大隊1番小隊長として高瀬の戦いに出陣。2月27日永徳寺の繁根木川河畔で負傷。近くの民家の雨戸に乗せて隆盛がいる本営に運ばれる途中で絶命したといわれています。享年31歳。鹿児島を発って12日目のことでした。
『西南紀伝』は「小兵衛、躯幹魁偉、・・・沈恒厚にして語寡なし、思慮周窓・・・・常に身を以て衆に先つ・・・」と評しています。
戦後、雨戸を借り受けた橋本家には、小兵衛の松子夫人から礼状が届いています。
一世一代鹿児島戦争実説
熊本が生んだ生人形師初代安本亀八が、明治26年1月1日、浅草公園で、西南戦争を題材とした「一世一代鹿児島戦争実説」の見世物興行をした時のチラシ。
松本喜三郎と双璧の人形師として知られる安本亀八は、明治八年浅草に本拠地を移し活躍、「一世一代鹿児島戦争実説」は彼の代表作とも言えるものです。
ちなみにこの興行で、三代目安本亀八もデビューします。
展示期間
平成19年1月14日(日曜日)〜平成19年3月25日(日曜日)
チラシ
※過去の企画展の為、チラシに掲載の情報の内、概要・趣旨などのみ記載しております。
西南戦争関係の企画展
「西南之役120年 戦場そして基地高瀬」 平成9年2月25日〜平成9年4月6日
「錦絵にみる西南戦争」 平成19年1月14日〜平成19年3月25日
「錦絵でみる西南の役 -高瀬・田原坂・熊本城-」 平成27年2月21日〜平成27年5月10日
カテゴリ内 他の記事
- 2024年7月11日 明治初期・玉名の新しい風 高瀬藩展
- 2022年3月16日 企画展「玉名の弥生ライフ」
- 2021年5月20日 企画展「神社をめぐる人びと展」
- 2020年11月5日 ふるさとは遠く、近く
- 2020年8月5日 企画展「大玉名展 きらめく歴史」
- 2020年5月19日 企画展「玉名の米作り〜二千年の歴史〜」
- 2020年4月22日 企画展「歴史をつなぐ 田添夏喜・門岡久・...